- 記事
- 画像
該当 4件
田川の食のアーティスト—末時千賀子さんの凄技—
カテゴリ:交流 更新日:2016.01.15
田川滞在で一番お世話になった人は間違いなく、家庭料理研究家で食育インストラクターの末時千賀子さんだ。先述の「食にん市」で末時さんにお声がけしたことで、観光列車「みのり号」の情報も得られた。
そこで、ある月刊誌の撮影時にお宅にお邪魔し、地味を活かしたそのカラフルな料理のご相伴に預かった時のことも書いておこう。
末時さんの住まいは香春町にある。大きな旧家で、広い座敷のうち二間分が食器置き場になっているには驚いた。元々、家に伝わるさぞや高価であろう骨董も中にはいくつか。さらに料理の魅力は盛りつけにもあると考える末時さんは、ご主人が制してもどうしても集めてしまうのだそう。
ぼくが伺ったのはフォトグラファーが到着する—と聞かされた時間から2時間近く経過した昼過ぎ。すでに料理は着々とできあがり、大きなテーブルに置かれて、撮影を待つ段階だった。牡丹の花をマグロの赤身に見立てた寿司が目を引く。繊細な和菓子のような色合いとも言える。
雑誌の発行前に詳細を漏らすわけにはいかないので、ざっとした解説になるが、その日は1年間の連載のうち半分の写真を撮るーという段取り。いずれも野菜を活用した料理で、意外性に富んでいた。
中で末時さんが普段からよく作るのがこんにゃく。それを刺身にして酢味噌で食べるまではごく当たり前だが、盛りつけの彩りと酢味噌に加えられた木の芽(山椒の葉)が実に芳ばしい。このように大抵、季節の先取りをすることになるが、大きな冷蔵庫が3台もあるので、よく使う素材は冷凍保存しており、さっと取り出しては手際よく調理にかかる。
蒟蒻芋を見たことくらいあるが、それが茹でて磨り下ろされ、灰汁によって固められ、蒸されるーという一連の製作行程を見るのは初めて。よくこんなものを食おうと太古の中国人は思ったもんだ。
また、末時さんは使う灰汁にもこだわるのだ。わざわざ盛岡から樫灰を取り寄せていた。柔らかいのに弾力は充分な、独特の食感はそこから生み出される。
でき上がったこんにゃくを薄く切って大皿に盛りつけると、てっさ(ふぐ刺し)のように見えてくる。実は昼食を食い逸れ、腹がグウグウ鳴っている音が聞こえやしないかと、内心ビクビク。ここでタイミングよくつまみ食いを晴れて許され、端切れを酢味噌につけて食べ出すともう止まらない…。こんにゃくダイエットなど考えたこともなかったが、これくらいおいしければ実践できそうだ。
また、庭草をあしらっての盛りつけのセンスが素晴らしいのだ。さすが京都まで出向き、懐石を学んだだけある。
一通りでき上がっての、試食がいかに至福の時だったかは想像に難くなかろう。
レシピなど仔細は守秘義務なので明かせないが、イチゴの入ったロール寿司はとりわけ絶品だった。
「田舎料理は素朴なだけじゃないんです」と末時さん。見栄えにも工夫を凝らし、目でもおいしくいただく。極力自然に育った地のもの、新鮮なものは自ずと美しい。そんなメッセージを末時さんは料理に託しているのだ。この先もいろいろ教わりたいし、ぼく自身、取材者としてどこかでそのスキルと哲学をご紹介できたらよいと思っている。
空いた田んぼでシジミを育てる—盆栽の達人、古部哲志さんの挑戦—
カテゴリ:交流 更新日:2016.01.15
古部哲志さんは盆栽の世界では知る人ぞ知る名人である。専門誌で何度も育成法の指導などもしている。
ぼくは最近、建築への興味から造園にも少し関心を持つようになった。が、盆栽も含め、園芸も植木を観賞する趣味も持たない。ことに盆栽はわからない。梅でも松でも、できたら自然のまま生えているのがよいと思うほうだから、わざわざ小さく育てることが解せない。中国の纏足のようにさえ感じる。
古部さんとも「食にん市」で出会ったのだが、そこでは自分で養殖したシジミを販売していた。名刺交換をして驚いた。盆栽とシジミがまるで結びつかなかったのだ。
しかし、好奇心の旺盛な自由な人だな—と思ってコンタクトを取り、市内伊加利にある盆栽園をお訪ねする前に一献傾ける席を設けていただいた。田川市には福岡県立大学があり、かなりの数の留学生を受け入れているが、その支援活動もしていると聞き、料理研究家の末時さん同様、田川でのハブになってくださるとも思えたのだ。
酒席ではよい調子で酔いながら、「いい加減だから、面白そうなことに首を突っ込んでいるだけ」と古部さんはおっしゃるが、この行動力を特にお役人方は見習って欲しいものだと思った。
問題のシジミの養殖池は盆栽園から軽トラで3分ほど走った先にあった。大きな貯水池がある脇の休耕田で、古部さんはそもそも何年か鯉の養殖をしていた。が、鯉の価格が下落し、それも割りが合わなくなり、ふと貯水池で自然発生し、時に養殖池まで侵食していたシジミをそこで育ててみようと思ったのだという。
シジミは海のものと思われがちだが、海水と混じり合う汽水域か淡水域に生息する。日本本土の在来種としては、汽水性のヤマトシジミと淡水性のマシジミ、セタシジミの3種があり、広く食用にされるのがヤマトシジミのため、上記の認識があるのだろう。
が、マシジミも同様に食用となる。ただし、生息密度が低く、琵琶湖産のセタシジミに偶然混ざっている程度といい、ほとんど市場に出回らないらしい。
もちろんここで養育しているのは淡水性のほうだ。それもご当人に詳しく確認しなかったのだが、縁の白い貝殻を見る限り、おそらく台湾からの外来種で繁殖力の高いタイワンシジミではないか(マシジミと同一種との説もあり)。
ともかく、ここ2〜3年は試験的な段階で商品として世に問うのはまだ先とのことだが、いずれは果樹園のようにこの場を家族連れなどに解放し、陸上で潮干狩りができれば—というのが古部さんの願い。もしそうなれば、田川の新しい名所となるだろう。
食にん市で購入したシジミを、ぼくは観光列車「みのり号」を取材後、末時さんにいただいた弁当とともに味噌汁にして食べた。当然、ヤマトシジミのような潮臭さは皆無で、また身離れが非常によくぷりっとしており、それまでに味わったことのない食感。舌鼓を打ちつつ、即効で平らげてしまった。
やはり水がよいのだろうなーとも、養殖池を眺めながら思った。適度に苔むして、それが餌となるので、特になんの世話も焼かずに育つようだ。
そして、再び園に戻り、しばし盆栽のレクチャーを受ける。盆栽には音痴のぼくでも、手塩にかけ自然の再現を目指す小宇宙がそこにある—とは呑み込めてきた。たとえ小規模でも、いやだからこそ、自然を意のままに操るーという感覚が妙味となるのだ。武人が尊んだ歴史も合点がいく。
今では海外でも人気の盆栽。古部さんはしょっちゅう全国の市に出向くが、上顧客の多くが中国の実業家らでネット販売も盛んなのだという。香川の鬼無町が盆栽の町として知られるように、こんな優れた指導者がいるなら、田川の新たな産業として成立するかもしれないとも思った。
帰り際、近くの道の駅で恒例となったイルミネーションを眺めた。かなりの規模に目を剥いたが、そんな人工美より遥かに盆栽の美しさには含蓄がある。
スペシャリティ・コーヒーが楽しめる憩いスポット
カテゴリ:交流 更新日:2015.12.10
田川市の人口は現在4万7800人。最盛期の半分を割っている。
かつての炭坑を挟んだ主要駅、田川伊田と田川後藤寺のアーケード街は寂れきっており、それを「昭和遺産」と呼ぶのも気の毒なくらいだ。若者をあまり町で見かけないーとは先日も書いた。集う場もそうないのだ。
個人的にはいかにも女子向けな、雰囲気重視のカフェなどにさほど魅力も感じないから、妙にサバサバするが、みんないったいどこでデートするんだろう?ーなどとも思う。
中高時代から相手もいないのにデートコースを練る。それがバブル世代男子の基本。いや、ずっと都会暮らしだと、そんなことばかり考える習性が身に付く。自然散策も悪くはない。が、喫茶店もないのは困るなぁ…(実際、モーニングでも食べようと出かけたら、両駅前ともになかった)。
ないない尽くしで市民のみなさんには申し訳ない。でも、事実だから仕方がない。実際聞けば、若い人たちは隣の市の飯塚まで出かけるという。
が、考えてみたら、ぼくだって地元の西東京でデートはしなかった。吉祥寺か新宿、池袋に出たものだ。でも、元中学の同級生なんかと、何気ない感じで会うとか集まる場はファストフード以外にもあった気がする。そして、どこの町に行っても、実際は立ち寄らずとも、そんな場を見つけてはほくそ笑むのだ。青春プレイバック!
田川滞在も後半にさしかかり、ぼくはようやくそんな場所を見つけた。それが鎮西団地内の小さな商店街にある「バードコーヒー」。手作り感あふれる内装から店主の柔らかな個性がにじみ出ている。
むろん、店内に一歩足を踏み入れれば、かぐわしい珈琲の香りが出迎える。しかも、この店は今、注目を集めている“スペシャリティ・コーヒー”の専門店なのだ。その定義は以下に詳しいが、要は産地が明瞭で有機栽培によって作られた豆をその特性を上手く引き出すよう、丁寧に焙煎し挽いて淹れたコーヒー。
http://www.scaj.org/about/specialty-coffee
ちょうどぼくはその成立を描いた『A Film About Coffee ア・フィルム・アバウト・コーヒー』というドキュメンタリー映画を試写で観たばかり。60分弱の短い尺数で世界のあちこちで本物のコーヒーを求める人間模様が要領よくまとめられ、なによりコーヒーが飲みたくなる作品だった。
店主の福島基さんとは実は先述の「田蔵」での立ち呑み市で出会っており、そんなこだわり抜いたコーヒーが田川で飲めるとはーと素直な感想を漏らした。すると、純朴を絵に描いたような福島さんは、「まずぼくが好きになってしまったんですね」とはにかみながら語った。
「長く老舗の金物商で働いていて、待遇も悪くなかったんですが、ずっと起業を考えていたところ、直方の『このみ珈琲工房』に入り、偶然出会ったのがスペシャリティ・コーヒーでした。正直さほどコーヒー好きでもなかったんですが、扉の前からすごい華やかな香りが漂っていて…一気にのぼせちゃったんです」
直方は通り過ぎただけで訪ねてはいないが、田川以上に寂れていると聞く。そこで孤軍奮闘するこのみ…のマスターは究極のアロマを求め、世界中の産地を飛び回っているのだそうだ。
福島さんは早速、お薦めの“ニカラグア ロット402”というコーヒーを点ててくれる。ぼくは濃くローストしたコーヒーがどちらかといえば好みだったが、カップに注がれた液体は思いがけず淡い色をしている。が、その琥珀色のコーヒーは滑らかでどこか甘いような余韻を残す。ゴクゴクと飲めてしまった。甘露という表現が脳裏に浮かんだ。
こうしたコーヒーを安価に飲めることにもだが、福島さんの温かい人柄が醸す、この空間に立ち所に虜となった。また、「好きを仕事にする」ことの大切さ。それをぼくは福島さんから再確認させてもらった気がする。
バードコーヒーは今年開店から5年目を迎えた。なんとか順調に経営してこれたのも、奥さんの優子さんの内助の功以上の貢献があったからだ。開店当初、幼子を抱えた優子さんは専業主婦。しかし、接客業の経験が抱負だっただめ、カフェの経営に抵抗はなかったという。店のもう一つの看板のマフィンは彼女の手作り。
「どうやったら売れるか、継続していけるか、ずっと不安でした。試行錯誤を繰り返し、オープン前から毎日焼いていました」
その結果、これまで店で出した数も40種。同店はFacebook等のSNSで発信をしているが、そこで毎日、その日出すメニューも確認できる。そして、取り置き願いの電話がよくかかってくるのだとか。
福島さんはこうも話した。
「生意気なようだけど、お客さんを育て、また育ててもらう。商売ってそんなもんかと思うんです。ここでいろんな提案をして、様々なコーヒーを味わってもらい、自分の好みを見つけて、さらに広げてもらう。だからいくつかの地元メディアも取り上げてくれましたが、口コミで評判が広がったーというのが正直なところです」
顧客の開拓と維持。それにはたゆまぬ努力を払い続けねばならない。福島さんは子どもの頃から町のオーケストラの一員でずっとバイオリンを続けてきた音楽好きで、最近はジャズに夢中。バード・コーヒーという店名も天才サックス奏者、チャーリー・パーカーの愛称“Bird”から来ている。立ち呑み市でもジャズ談義に花が咲き、ぼくは今回の訪問を心待ちにしていたのだ。
夫婦で二人三脚。店を持ち、夢を追う。こういう人たちが田川にもいる。とても心強く思うと同時に、この店が自分が実際に住む町にも欲しい!ーとまたないものねだりをしたくなるのだった…。
粋人たちの心の灯火ー酒屋たくらでの晩ー
カテゴリ:交流 更新日:2015.12.05
田川情報を公開するために今も阿蘇の田舎にいる。ドミトリー1泊1500円というゲストハウスの草分けのひとつだが、想像した以上に田舎にある。が、Wi-Fiは自在に使える…。
「情報基地」と呼ばれる場所はだから、なにも都会に限ってあるわけではない。ぼくも田川に着任早々、そんな場がないか、若い人をつかまえて尋ねまくったりしていた。残念ながらそれは自分の得意の飲み屋にはなかったようだ(後述するが、とっておきのカフェはあった)。
が、運のいいことに田川に来て、最初に覗いた店が多くのキーパーソンとぼくを結びつけてくれた。それが酒屋の「味の番頭ー田蔵(たくら)」である。店内はご亭主夫婦の趣味というアンティークの品々で飾られ、なかなかお洒落だ。おまけに品揃えが素晴らしい。
ご当地を含む日本酒、焼酎の選りすぐりと、こだわりのワインがずらっと並んで、もしこの地に住むなら、入り浸りになるだろう予感がした。ま、期間限定滞在だし、田川の情報発信という役回り上、家飲みよりはつい外をうろついていたが…。
もっとも、最初に目についたのはやはり地元産の食料品などで、それらを少し買って、表の看板にあった「呑みの市」というイベントについて尋ねたのだ。
それはボジョレーヌーボ解禁に引っかけ、11月の20日と21日のみ催された、いわばワイン角打ち。初日はそこまで混まなかったので、充分座れたが、ともあれ酒店ならではの低価格で、同店が取り扱う自家製パン(なんでも店を持たず、ここだけの委託販売をしている女性がいるらしい)やチーズ、ソーセージなどをつまみに楽しむ会である。
田川に来て、勝手もわからなかったぼくは両日とも顔を出すことにした。ここには間違いなく、田川でも感度の高い人たちが集まるだろうと思った。その場に居合わせれば、いろんなネタがつかめるだろう。その直感は的中した。
女将のお姉さん夫妻や友人らとアットホームに語らえた初日も忘れがたいが、2日目には案の定、この町でも先端にいる人たちが来たようだ。上記のカフェの店主Fさん、ローカルクリーニング店チェーンの2代目ながら、IT関連の事業に乗り出そうとしているTさん、地元タウン誌でも洗練を誇る「Chikusuki」の編集長Oさんなどなど。朝日新聞の記者氏も来ていた。
いただいたワインもおいしかったが、そうした出会いが嬉しかった。なんでも父母と一緒に店を切り盛りする、娘の愛之さんがチラシを投函した結果なのだとか。
当たり前でないよい酒や食品に絞って店頭に置く。東京など大都市圏なら当たり前のセレクトショップを、特に若者が集まる洒落た飲み屋もない田川で展開する。ハンドリングが難しいようにも思えたが、意外にもいつ様子を覗いても来客はひっきりなしで、贈答のシーズンを迎えるためか、女将さんは注文票を捌くのに必死の様子。
この店のラッピングがまた秀抜ーとは常連客からも聞いたが、そうした気遣いが徐々に大勢に支持されているようだった。以下のブログからもその濃やかなサービスぶりが伝わるだろう。こうしたPR担当の愛之さんも連日、残業の日々らしい。
http://halo-hello.jugem.jp/
該当 4件