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空いた田んぼでシジミを育てる—盆栽の達人、古部哲志さんの挑戦—
カテゴリ:交流 更新日:2016.01.15
古部哲志さんは盆栽の世界では知る人ぞ知る名人である。専門誌で何度も育成法の指導などもしている。
ぼくは最近、建築への興味から造園にも少し関心を持つようになった。が、盆栽も含め、園芸も植木を観賞する趣味も持たない。ことに盆栽はわからない。梅でも松でも、できたら自然のまま生えているのがよいと思うほうだから、わざわざ小さく育てることが解せない。中国の纏足のようにさえ感じる。
古部さんとも「食にん市」で出会ったのだが、そこでは自分で養殖したシジミを販売していた。名刺交換をして驚いた。盆栽とシジミがまるで結びつかなかったのだ。
しかし、好奇心の旺盛な自由な人だな—と思ってコンタクトを取り、市内伊加利にある盆栽園をお訪ねする前に一献傾ける席を設けていただいた。田川市には福岡県立大学があり、かなりの数の留学生を受け入れているが、その支援活動もしていると聞き、料理研究家の末時さん同様、田川でのハブになってくださるとも思えたのだ。
酒席ではよい調子で酔いながら、「いい加減だから、面白そうなことに首を突っ込んでいるだけ」と古部さんはおっしゃるが、この行動力を特にお役人方は見習って欲しいものだと思った。
問題のシジミの養殖池は盆栽園から軽トラで3分ほど走った先にあった。大きな貯水池がある脇の休耕田で、古部さんはそもそも何年か鯉の養殖をしていた。が、鯉の価格が下落し、それも割りが合わなくなり、ふと貯水池で自然発生し、時に養殖池まで侵食していたシジミをそこで育ててみようと思ったのだという。
シジミは海のものと思われがちだが、海水と混じり合う汽水域か淡水域に生息する。日本本土の在来種としては、汽水性のヤマトシジミと淡水性のマシジミ、セタシジミの3種があり、広く食用にされるのがヤマトシジミのため、上記の認識があるのだろう。
が、マシジミも同様に食用となる。ただし、生息密度が低く、琵琶湖産のセタシジミに偶然混ざっている程度といい、ほとんど市場に出回らないらしい。
もちろんここで養育しているのは淡水性のほうだ。それもご当人に詳しく確認しなかったのだが、縁の白い貝殻を見る限り、おそらく台湾からの外来種で繁殖力の高いタイワンシジミではないか(マシジミと同一種との説もあり)。
ともかく、ここ2〜3年は試験的な段階で商品として世に問うのはまだ先とのことだが、いずれは果樹園のようにこの場を家族連れなどに解放し、陸上で潮干狩りができれば—というのが古部さんの願い。もしそうなれば、田川の新しい名所となるだろう。
食にん市で購入したシジミを、ぼくは観光列車「みのり号」を取材後、末時さんにいただいた弁当とともに味噌汁にして食べた。当然、ヤマトシジミのような潮臭さは皆無で、また身離れが非常によくぷりっとしており、それまでに味わったことのない食感。舌鼓を打ちつつ、即効で平らげてしまった。
やはり水がよいのだろうなーとも、養殖池を眺めながら思った。適度に苔むして、それが餌となるので、特になんの世話も焼かずに育つようだ。
そして、再び園に戻り、しばし盆栽のレクチャーを受ける。盆栽には音痴のぼくでも、手塩にかけ自然の再現を目指す小宇宙がそこにある—とは呑み込めてきた。たとえ小規模でも、いやだからこそ、自然を意のままに操るーという感覚が妙味となるのだ。武人が尊んだ歴史も合点がいく。
今では海外でも人気の盆栽。古部さんはしょっちゅう全国の市に出向くが、上顧客の多くが中国の実業家らでネット販売も盛んなのだという。香川の鬼無町が盆栽の町として知られるように、こんな優れた指導者がいるなら、田川の新たな産業として成立するかもしれないとも思った。
帰り際、近くの道の駅で恒例となったイルミネーションを眺めた。かなりの規模に目を剥いたが、そんな人工美より遥かに盆栽の美しさには含蓄がある。