- 記事
- 画像
田川のソウルフードvol.2(ホームラン食堂のチャンポン)
カテゴリ:食 更新日:2015.12.03
長らく投稿できなかった。その理由は明白で、今回の滞在で与えられた物件がWi-Fiが使えず、iPhoneをルーター代わりにしたところで、記事アップもネット検索も重いメールのやり取りでさえできなかったからだ。
最初にそう聞かされ唖然とはしたが、なんとかなると思っていた。しかし、現場に来れば、昼はなるべく情報収集のために稼働したい。秋の日は釣瓶落としーでもあるが、元々原稿執筆は朝方で、それで足りなければ夜なべをするタイプなのだ。
ネットとの悪戦苦闘を繰り返した結果、思い切って短期集中で取材し、後はそもそもの目的である九州遊学中に記事を上げるーと発想の転換をした。少々だが本業もこなさねばならないため、まぁ、苦渋の決断である。
従って今は、田川を離れ、湯布院にいる。宿の暖房を全開にし、部屋干しした大量の洗濯物が乾くのを待っている。昨日の豪雨でぐしょ濡れになり、着替えがなくなったついでだ。が、鄙びた湯治宿ではあるが、しっかりWi-Fiは使えて助かっている。
田川でいくつかお気に入りの店もでき、リピートもしたかったのだが、さらなる出会いを重ねれば、そのよさも噛み締められるというものだ。
田川にはグルメ情報しかないのか?といぶかしがられて困るが、食こそが交流の要。もっとも、いかにその種の本も出しているからと言って、B級ばかりにぼくが注目するので、地元の人もやや不思議がっている。
まぁ、東京は食の中心地でもあって、金さえ出せば、そこそこのものが食べられる。そして、調理の技量というものはそう全国で差は出ない。修業先が京都だったり加賀だったり…。
ところが、庶民感覚に根づいた味というのは、それこそ土地の個性と結びつき、模倣もなかなかできない。B級グルメでの町おこしというのはだから、けっこう正道なのだ。
今は無人となっているが、田川後藤寺には大きなバスステーションがあり、これもまた昭和遺産と呼べるのだろう。かつてはその中に客席700人規模の映画館も入っていたという。
その正面に「ホームラン食堂」がある。昭和22年頃の開業でいつしかこの名になったと女将さんは言う。店内には店名通り、少年野球チームの集合写真、高校野球部のテナントなどが所狭しと飾ってある。野球小僧ばかりではない。こちらももやしそばのフッコー食堂同様、西田川高校の部活帰りの生徒が引きもなしに寄ったようだ。
店に入ると開口一番、女将は「チャンポンしかないけどいい?」と訊く。「いいっすよ、というか、それが食べたかったんだから」とぼく。
その評判はネットで拾っていた。が、野菜の量が半端ないーという以外、その詳細はあえて読まずにおいた。驚きを感じたいからだ。
先客が一人いた。女将はぼくの注文と同時にこなしているようだ。野菜を新たに切り出す音がする。にしても、妙に時間がかかるなぁと思って時計を見ると、なんだかんだ20分は経過している。置いてあったスポーツ紙も読み切ってしまった。
そこへまず先客に、ついでぼくに平たい皿に盛られたチャンポンが出てくる。確かにたっぷりの野菜がボタ山のように盛り上がっている。しかも、キャベツ中心でもやしはさほどではない。スープはこちらにしては珍しく豚骨ではなく、鶏ガラだ。が、麺はやや細めだが、ちゃんとチャンポン用。まっすぐで腰は弱く、稲庭うどんのようにスルスルと口に入る。
細かく刻んだ鶏肉から香ばしい油分が、野菜からは甘みがどんどん滲み出て、次第に旨味が増してくる。見事だと思った。食べ進めるうちにテーブルにあったソースをたらり。すると、また味にまろやかな変化が生まれる。たまらない…。
そして、帰り際に女将は先客の分と一緒に作ったので、野菜の量が半分になったから「お代は要らん」というようなことまで口にする。メニューはなかったが、500円のところを300円でよいと言ってきかないので、常連らしい先客と同じく負けてもらった。
九州のオナゴは潔いなぁ。そのホスピタリティにもだが、気っ風に参ってしまった。さらに聞けば、今はメニューを絞っているが、全盛期はうどんやちらし寿司もウリで、今も子ども連れが来るとわかれば、焼き飯やチキンライスも出すとか。その味もきっと滋味深いものだろう。
街場の中華フリークであるぼくは好きが高じて最近、本まで書いた。東京ローカルの内容だが、ぜひ九州版も出してみたいーそう思わないではいられなかった。