田川市移住体験ブログ

~田川市に移住してみました~

田川市 居住体験

平成筑豊鉄道沿線

カテゴリ:その他 更新日:2015.11.02

直方駅、平成筑豊鉄道伊田線の起点であり、
JR九州筑豊本線の駅でもある。

大関魁皇像、地元のヒーロー!
この世代から力士のイメージも現代的に変わってきた。若貴ブームを境に、従来の稽古に加えてスポーツジムで筋肉トレーニングをし、明るく爽やかな青年力士が増えた気がする。

下がりを折って持って行ってしまう困ったファンが多く、地元の人が心を痛めているそうだ。

平成筑豊鉄道直方駅、
改札口がないので開放感がある。

日中は1時間に2本、利用者は時間に合わせてやってくるので、ホームで電車を待つ人はいない。

お馴染みのちくまる君。

直方駅で切符を買って、一駅づつ降りて周辺散策を試みようと、一旦乗車したが、ほとんどの駅が無人駅であることを思い出し、これなら車でまわろうと、引き返す。

金田駅近くにあった宮本武蔵の碑。
巌流島の決闘を終えた武蔵は、小倉に滞在し、島原の乱に参戦した後、熊本城主・細川忠利に客分として招かれ熊本に移り晩年を迎えた。

小倉から熊本への途上で立ち寄ったのだろうか。
それにしてはこの碑はなんか新しすぎる気がする。
 

赤池駅、駅舎にお好み焼きの店が併設。

ふれあい正力駅、それぞれの駅へ行く道を探すのが楽しい。

僕のお気に入りは市場駅、広大な田んぼの中、福智山を望む風景で、解放感があり、なぜかほっとする場所。

人見駅。

この線は、本当にロケに良い。
列車運行間隔が長いのと人がほとんどいないので、駅のホームを使った撮影に向いている。
駅周辺のたたづまいも、駅ひとつひとつ趣が違うので、
様々なシチュエーションが撮れる。

福智山から周辺へ

カテゴリ:その他 更新日:2015.11.02

福智山へ向かう。

福智山を、車で行けるとこまで登ると、終点に白糸の滝への入り口がある。

滝への道、歩きやすく整備されている。

5分ほど歩くと滝が現れる。
鬱蒼とした山の中、何だか怖ろしい雰囲気の中、
美しい滝の流れ。

この辺りではお馴染みな不動明王が此処にも、
山伏の修験場ということか。

滝を見守る面々。

ここが登山口、きっとこの辺りには、蛇やゲジゲジや大蜘蛛なんかいないんだろう。

信仰心が増幅される風景。

滝の近くに寄ってみる。
辺りの空気も冷たく、気持ちが引き締まる思い。

年季の入った苔で岩肌が覆われている。

上野窯の煙突。
焼物の郷である。

福智山系の山々。

古井戸、江戸川乱歩の世界。

時が止まったままの世界。

道祖神、かつての街道筋もひっそりとしている。

嘗ての人家の跡だろうか、完全な藪。

清光寺という寺の入り口。
此処はもう直方市内、だいぶ歩いてきてしまった。

せっかくなので、寺を拝観。

平成筑豊鉄道、可愛らしい一両編成。

牧歌的な田園風景。

彦山川の夕景が美しい。

「田川の産業遺産にふれる」ツアー_2

カテゴリ:その他 更新日:2015.10.30

これは田川市石炭・歴史博物館のトイレ、
なんだかポップでとってもレトロ。

遊園地の乗り物のようなトロッコ。

かつての炭鉱労働者の住宅。
社宅としては中々です。
僕もこんな感じの家で生まれました。

これが昭和の暮らし。

アルミの弁当箱。
懐かしい、冬はダルマストーブの金網の上で温めておくと、教室がいい匂いでいっぱいになった。

これは大正時代の家、
天井にランプが吊ってある。
この明かりだと新聞は読めないだろう。
昔はそれが普通の暮らしだった。

大正時代のお勝手、
手前にある取っ手のついた筒状のものが、
石炭をを燃して使うストーブ。

丸いちゃぶ台の真ん中にストーブを置いて、
お湯を沸かしたり、燗をつけたりなかなか便利。
火が安定するまでは煙が出るので家の外で燃して、炭が真っ赤に起きたら室内へ。

語りべの原田さん、昔の暮らしぶりを語る。

長屋である。
江戸の昔から、
庶民が楽に暮らせるスタイルだった。

家で使うための石炭クズを溜めておく。

田川伊田駅周辺_1

カテゴリ:住 更新日:2015.10.30

田川伊田駅。
立派な駅舎である。
今は2階3階はテナントが入っていない。

駅前駐車場はこの値段。

駅前商店街、アーケードが延々と続く。

断っておくが、これは朝10時の風景である。
このように全ての店がシャッターを下ろしているわけではない。

やはり、夜も歩いてみないと…

一本街道よりのにある飲み屋街。
およそ4〜50軒が並んでいる。

近所の住人に挨拶。

と思ったら、足元にこんなのが。

「田川の産業遺産にふれる」ツアー_1

カテゴリ:その他 更新日:2015.10.24

今日の集合場所は、香春町役場。
午前中のガイドをしていただくのは、郷土史会の会長さん。
スタートは香春町の史跡散策。

"鍋屋騒動”
脱藩した薩摩藩士の一行を、「浮浪の徒」として、
香春藩庁は召獲隊を組織し、
一行が宿泊中の旅館「鍋屋」を襲い、
12名を惨殺したという史実を伺う。

惨殺された首級罪人として、この西念寺の塀の上にさらされたという。

旅館「鍋屋」の跡地。
今は更地になっている。

地元蓮華寺の日要上人が、
殺された元薩摩藩士を哀れんで、
首級をもらい受け、この岩の下に埋葬し、弔った。

"浮浪の罪”というものがあった時代なのか、
よそ者を排除するための口実とされたのか、

当時、朝廷・幕府の転覆を図ろうとする輩が徒党を組み、密かに同志を集めて不穏な動きをすることを警戒してのことであろうが、
住民の、他所者に対する警戒感が伴って、過激な結果を生んだのか、弱体化した当時の小笠原藩がピリピリと神経を尖らせていたのか、

いずれにせよ、この土地に限らずどこにでも起きたであろうこの手のことを、
人間の営みの影の部分として、
史実とともに、心に刻むことが大切だ。

藩庁跡。

煉瓦塀の家が多い。
地元の人に尋ねると、特に意味はなく、
たまたまではないかとのことだったが、
やはり半島や大陸からの文化の名残りのように思えて親しみ深い。

このお宅は、
全盛期のセメント会社の社員寮だった家だそうで、
今は個人の方が住まわれている。
立派である。

鏡山神社。

神話時代はお腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めたといわれる神功皇后ゆかりの神社。

古代、田河道と呼ばれる大和朝廷が整備した官道があった。
ここは大宰府から豊前国府への街道の要所であったという。

奈良時代の街道筋がどのようなものであったかは想像もできないが、
飛鳥時代の皇族である河内王がここに埋葬された時に、その妻とされる手持女王の詠んだ挽歌が万葉集にあり、歌碑が建っている。

近くには宮内庁によって河内王陵とされる古墳があるが、考古学的には年代が合わないそうである。

いずれにせよ、太古の時代を感じることのできる貴重な場所であることは間違いない。

道の駅香春

ここにある万葉公園にはたくさんのフジバカマという花が植えられていて、この季節にはアサギマダラという蝶が飛来する。

このアサギマダラは南は鬼界ヶ島から北は山梨県あたりまで2000キロ余りを移動する珍しい種類そうで、
フジバカマの蜜だけしか吸わないという。

ここでは地元の愛好家によって、たくさんのフジバカマが植えられていて、
アサギマダラの貴重な飛来地となっている。

今日はまだ見かけていないとのことであったが、
一行が着いた途端に、ヒラヒラと5〜6頭(蝶は一頭二頭と数える)が舞う姿が見られ、
写真に撮ることができた。

舞う姿は、まるで歌舞伎の舞台で差金を使って動かされる蝶のように、優雅にして華麗である。

神宮院

伝教大師最澄が814年に建立したとされる寺。
香春岳一の岳の中腹であり、採掘場のすぐ下にある。

軒先に小笠原氏の家紋である三階菱が見える。

最澄の座禅石

樹齢800年の大銀杏。

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