移住者インタビュー

LIFE STYLE 北九州市

終の棲家をどこにするか考えたとき、
頭に浮かんだのはやはり生まれ故郷でした。

移住者DATA

ターン

Profile
柴﨑哲和さん(68歳)
Data
北九州市戸畑区出身。石川県に住居を構え、石川、東京、アメリカ・シカゴなどで勤務。2010年に退職後、北九州市にUターン。地元の工業高校の進路指導室勤務などを経て、現在は地域の街づくり協議会、健康保健部会などの活動に従事している
Work
街づくり協議会などの地域活動

35年間暮らした石川を離れ、夫婦の故郷・北九州に戻って来ました。

Q. 移住のきっかけを教えてください。

石川県に拠点がある企業に勤め、金沢市の隣に位置する白山市に住居を構えていました。石川には合計35年住み、愛着もあったので、退職する前まではこのまま骨を埋めるつもりでした。しかし、60歳を間近にして、北九州やその近郊に住んでいる親兄弟、甥や姪、さらにお墓のことなどを考えるようになりました。私たち夫婦には子どもがおらず石川に縛られる理由もなかったので、生まれ故郷・北九州に帰るのが一番だと考え、この地に戻ってきました。

環境都市にふさわしい緑あふれる北九州市を見て、昔のイメージが変わりました。

Q. 久しぶりに戻ってきた北九州の印象はどうでしたか?

昔のイメージとはずいぶん違いますね。高校卒業まではずっと戸畑区に住んでいました。八幡製鐵所のそびえ立つ煙突から立ち上る七色の煙を見ながら小・中学校に通っていた記憶があります。戸畑と若松を隔てる洞海湾も汚れ、空気も悪く、工業地帯というイメージそのものでした。会社勤めをしていた頃、北九州に戻って来るのは1年に1度、お正月に2~3日くらい。私と家内の実家や親戚の元を訪ねるくらいだったので環境の変化に気づくことはありませんでした。
 しかし、今回戻ってきて改めて周辺の環境を見てみると、洞海湾は見違えるほどきれいになり、人々が集う公園も整備され、緑も多い。北九州市がうたう「環境都市」にふさわしい街になったことを感じました。

「洞海湾には学校のスケッチの授業でよく来ていました」と柴﨑さん
洞海湾に架かる若戸大橋は1962年に開通。工事の様子も見ていたそうです

仕事漬けの日々が退職後は一変、地域の人との交流を楽しんでいます。

Q.普段の生活はどう変わりましたか?

戻って来る前は、勤めていたので比べづらいですが…(笑)。というのは、現役時代は本当に忙しかったんです。働き盛りの頃は1年に数日ほどしか休みを取らないくらい。アメリカ現地法人の代表補佐、連結子会社の社長、本社の事業本部長などを務めていたので、日本中、世界中の出張も多く、さらに海外勤務もしていたので地域との関わりはほとんどありませんでした。
 戻って来てからはさまざまな縁があり、県立工業高校の進路指導部で就職指導員として勤務したり、ボランティア活動をしたり。少しでも地域の役に立てればと思い、北九州市のスポーツ推進員として2年間活動し、現在はまちづくり協議会の副部会長、自治会協議会会長、社会福祉協議役員などをしています。こんなに地域の方々と交流するのは初めてですし、さまざまな世代の方とふれあうことが楽しく刺激になります。
 あとは、戸畑祇園山笠を久しぶりに見られたのも感動的でした。八幡神社常任理事もしているので、地元の伝統的な祭りに関われるのもうれしいですね。

出張先で集めたマグネット。アメリカ、アジア、
ヨーロッパなど各国の風景が並びます
戸畑祇園山笠の競演会が行われる戸畑区役所前
中央公園をウォーキング。四季を感じながら池の周囲を散策できます

Q.時間がある時は何をして過ごされることが多いですか?

暇があればウォーキングで汗を流しています。戸畑では中央公園、私たちは金毘羅公園と呼んでいましたが、池の周りに遊歩道が整備されているので歩くのに最適ですね。小さい頃、その池でザリガニ釣りをして遊んだものです。隣接する小高い山の神社まで歩くこともありますよ。

Q.古くからのご友人との交流もありますか?

初めて同窓会に出席したり、戸畑に戻ったことで高校時代の友人との交流も増えました。学生時代の話から今の話まで、話題は尽きません。地元でがんばっている仲間が多いと知ることができたのもうれしいことですね。高校時代のクラスメイトが福岡のテレビで活躍していたり、区長や高校の校長になっていたり…。地元に帰って来ないと気付かなかったことかもしれません。同級生のがんばりは励みになります。

住環境が整った地域なので、とても暮らしやすく、将来の不安もありません。

奥様が先頭に立ち、家の新築を進めたのだそう。「夫は忙しかったので。役割分担ですよね」と奥様。

Q.移住するにあたって、住居はどうしましたか?

今、住んでいる場所に元は実家がありました。この土地を活かし、古くなった家屋を新築しました。家内に任せっぱなしでしたが、全国に展開している住宅メーカーに依頼し、石川で打ち合わせを重ねて間取りや内装などを決め、北九州で建築してもらいました。地鎮祭や上棟祭などの節目には帰って来ていましたが、それ以外はお任せでした。

戸畑区には、JR戸畑駅やJR九州工大前駅があり、バスの運行も多い

Q.戸畑の住環境はいかがですか?

北九州に帰る決断をした要因の一つに、この地区の住みやすさや利便性がありました。今後、年を重ねて心配になるのが、総合病院や介護施設、さらに買い物などの便利さです。その点、ここは安心。歩いて数分のところにそのほとんどがあり、安心して暮らすことができます。土地も平坦なので、車いすだったとしても自分で移動することが可能だと考えています。普段は自家用車での移動が多いですが、電車もバスも便利ですよ。

また、北九州は物価が安いのもいいですね。石川県は加賀百万石の城下町という歴史ゆえか、きらびやかなものが好まれ、安いものよりも高いものが売れるといった慣習がありました。一方、こちらは石川に比べて生鮮物の物価などかなり安いようです。引っ越してきた当初、家内が「安い安い」とうれしそうに野菜や魚介を買い求めていたのが印象的でした。

そして、自然災害に対する立地条件のよさも見逃せません。地震や台風、水害などの影響は少ないと思います。さすが、旧国営八幡製鐵所が選んだ土地という感じですね。総合的に戸畑は住みやすい土地と言えるのではないでしょうか。

Q.福岡に移住してよかったことを教えてください。

 やはり親戚との交流が増えたことでしょうか。特に、隣町に住む姪夫婦の小学1年生の男の子が私たち夫婦になつき、2カ月に1度は泊まりに来ています。また、私と2人で年に2回、2泊3日の旅をしており、私もその子もその旅を楽しみにしています。特に、歴史が好きで城や神社仏閣に興味があるようで、これまでに鹿児島、熊本、長崎、佐賀、大分、山口、広島、姫路、大阪、京都、岐阜、名古屋などいろいろな城や史跡めぐりを楽しみました。いままでさまざまな都市に仕事で出かけましたが、観光をしたことがなく、私にとっても新鮮です。「次はどこに行こうか?」と、2人で計画を立てるのも楽しい時間ですね。

Q.移住を考えている人にメッセージをお願いします。

会社退職後、どこを終の棲家にするかと考えたとき、行き着いたところは生まれ故郷である「地元」でした。帰って来ると安心感と融和感が生まれ、さらに愛着心もわくようになりました。そして、しばらく離れていた地元は懐かしさだけでなく、いろいろ新しい発見も多く楽しいものです。私の場合は、それがたまたま北九州でしたが、移住を考える人がどういう目的で何をしたいかによって場所は変わってくるでしょう。行政の支援なども充実しているようなので情報をしっかり見極め、ご自分に合った移住先を見つけてください。北九州市が選択肢の一つになればうれしいです。

※当インタビューは、2015年10月26日に行われたものです。

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