移住者インタビュー

添田町 田中博史さん

妻とゆっくり暮らせる場所を探して移住した添田町。
                長年の経験を活かした和食料理店を再び開き、
                忙しくも楽しい日々を送っています。

移住者DATA

Iターン

田中博史さん(71歳)

Profile
田中博史さん(71歳)
Work

飲食店 店主

大阪府出身。高校卒業後、料理の道を志し、和歌山県にある旅館や大阪府の割烹料理店などで腕を磨いたのち、日本料理店の料理長を18年間務める。2009年には独立し、大阪府枚方市に天麩羅割烹を開業。2019年に添田町に移住し、2023年に再び同店をオープンした。

移住のきっかけは妻の病気。夫婦で静かな場所に暮らしたいと考えました。

Q.福岡県に移住したきっかけを教えてください。

私は和食の料理人で、大阪府枚方市で天麩羅割烹を経営していました。18年くらい経った頃でしょうか、2009年に妻の体に病気が見つかったんです。朝5時には厨房に立ち、終わって帰るのは23時頃という生活をしていたのですが、妻を放っておくことはできないと思い、店をたたむことにしました。その後1年ほど知り合いの店で働いていたのですが、病院に連れて行くなどこちらの都合で休むこともあって仕事を続けることは難しいと思うようになりました。2人の子どもは独立していますし、この際、夫婦でゆっくりできる場所を探そうかということになり、移住を考えるようになりました。

神奈川県出身の妻のために、最初は関東方面で移住先を探していました。妻の祖母の家があり、本人も以前住んでいた静岡県を候補にしたところなかなか合うところが見つからず。大阪に住んでいる長男は、ここを離れなくてもいいのではと言ってくれたのですが、私たち夫婦は新しい場所で心機一転したいという思いが強かったんですね。そうした時に、福津市に住んでいる次男が「福岡も静かでいいところが多いよ」と教えてくれたことから、福岡県への移住を考えるようになりました。

Q.添田町を移住先に選んだ理由を教えてください。

まずは、次男が住んでいる福津市周辺で移住先を探しました。大阪の店を売ったお金で購入できる家を見つけたかったのですが、福津市や宗像市、岡垣町などでは条件に合うところがなく、だんだん範囲を広げて探すようになった時に添田町を知りました。合わせて3回ほど大阪から福岡に来て移住先を探したでしょうか。県内のいろいろな場所を検討した結果、静かで自然に囲まれた環境、そして次男の家にも車で1時間ちょっとの距離感などが気に入り、移住先を添田町に決めました。妻の体調のこともあってあまり時間がなかったので、まずは空き家バンクで見つけた賃貸の一軒家に住むことにして、その後、現在の家を購入しました。

Q.移住に際して利用した制度はありますか?

最初に賃貸で住んだ家も、購入した現在の家も空き家バンクを利用して探しました。購入後、手続きのために町役場に行ったところ、担当者の方が添田町の「定住促進リノベーション支援事業※」をすすめてくれて、利用することにしました。定住するつもりで空き家住宅を購入し、リノベーションする場合に適用されるもので、上限100万円の補助金のほかに町内の建設業者を利用したり福岡県産材を使ったりすると加算もあって助かりました。

※添田町に定住する目的で空き家住宅を購入し、リノベーションする場合に費用の一部を支援する制度
https://www.town.soeda.fukuoka.jp/docs/2017100200023/

Q.移住への不安はありませんでしたか?

次男が近くに住んでいるとはいえ、私にとってはゆかりのない場所です。でも、18歳で料理人になってから関西圏内のいろんな場所で暮らしてきたんです。どこでも3か月もすれば慣れることはわかっていたので、特に不安はなかったですね。料理人として勤めていた頃は、定年したらオーストラリアに移住したいと考えていたくらいなので、日本国内への移住はそんなに悩むことではなかったです。それ以上に、妻にとって環境のいい場所で暮らすことが大切でした。

妻も関西や関東などさまざまな土地での暮らしを経験している人だったので、反対することはありませんでした。私と一緒になる時、関東から大阪に呼び寄せたので「今度は福岡って、私をどこまで連れて行くの?」と言ってはいましたけどね(笑)。

豊かな自然のなかで暮らす環境を満喫。添田町の人の温かさに懐かしさを感じます。

Q.住み始めて感じた添田町の印象を教えてください。

英彦山や岩石山などの山々や川など、自然に囲まれた環境が気に入っています。この家からも岩石山が見えるんですよ。以前住んでいた枚方市は大阪市のベッドタウンのような場所で、生駒山が見え、淀川が近くに流れていますが自然のなかで暮らすというような環境ではありませんでした。ここは山や川が近く、散歩をするのも楽しい。妻は添田町に住み始めた時「こんな空気、大阪では吸えんね」と言って心地よさそうにしていました。また福岡県内だけでなく、九州各地にも車でアクセスしやすい場所というのもいいですね。

そして人と人との付き合い方が近いことを感じます。私が子どもの頃、周りにいて面倒を見てくれた近所のおっちゃんおばちゃんみたいな人がここにはまだまだたくさんいて懐かしいですね。移住してきた私たち夫婦にも親切で、私が不在にしている時は妻の様子を見に来てくれたりして助かりました。また、住んでいる人たちが添田町のことが好きだというのが伝わってくるところもいいなと思います。移住してきたと言うと、皆さん口を揃えて「よくこんな田舎に来ましたね」とは言うものの、悪く言う人はいないんです。都会と田舎の人間付き合いの距離感に疲れる移住者がいるという話も聞きますが、私はストレスを感じることもなく、ちょうどいいと思います。

Q.移住後、生活はどのように変わりましたか?

移住当初は妻の体調が第一だったので、私の仕事も控えめにしてゆっくりと過ごしました。別府など、気軽に出かけられる場所にドライブすることも多かったです。近場では、飯塚市と糸田町の境にある烏尾(からすお)峠によく出かけていました。妻と一緒にアジサイや桜を見に行ったり、看病で疲れた時に一人で息抜きに行ったりした思い出の場所です。また、妻と一緒に朝晩1時間ずつ散歩に行くのが日課になりました。体調が悪くなるにつれ、朝だけになり、そして車椅子にとなりましたが、妻も一緒に散歩するのを楽しんでいたと思います。今は愛犬のアトムと一緒に散歩をするのが日課です。

最初に住んだ庄地区の彦山川沿いをアトム君と散歩。
最初に住んだ庄地区の彦山川沿いをアトム君と散歩。
妻の月命日に出会ったことに縁を感じ、アトム君が田中さんのよき相棒に。
妻の月命日に出会ったことに縁を感じ、アトム君が田中さんのよき相棒に。

ほかにも英彦山の中腹にある英彦山神宮に参拝したり、岩石山に登山をしたり、自然と触れ合うことが増えました。岩石山には「八畳岩」という大きな岩があるのですが、そこに寝転がって空を見上げると清々しい気持ちになります。山登りをしていると、小さい頃、よく生駒山に登っていたのを思い出しますね。

家から見える標高454mの岩石山。気軽に登山でき、毎日登る人もいるという。
家から見える標高454mの岩石山。気軽に登山でき、毎日登る人もいるという。
妻と一緒に登山を楽しんだことも。
妻と一緒に登山を楽しんだことも。

大阪時代の割烹料理店を添田で再開。地域の人たちに応援してもらえてうれしいです。

自宅の一部を改装してオープン。

Q.仕事について教えてください。

最初はこちらで働く気はなく、年金で暮らそうと思っていたのですが、大阪時代の知り合いが手がけている粕屋町の食品工場を手伝って欲しいという依頼があり、週に2~3回出勤していました。その工場が事業を拡大するうちに、私が四国や中国地方へ出張に行くことも増えて忙しくなってきました。その頃、妻の病状も悪くなってきたのでその仕事は一旦休むことにしました。

妻が他界してしばらくした頃、添田町での出店を誘われました。賃貸で借りて店舗を出そうとしていたのですが、大きすぎたり小さすぎたりしてなかなか話が進まなかったんです。そうしているうちに、電設業を営む知り合いから「自宅を改装して店を開けば?」というアドバイスをもらい、場所を見てもらったりするうちに、ここでしようということになりました。枚方の店をたたむ時に、二度と自分で店を開くことはないと思っていたのですが、わからないものですね。2023年5月に、枚方の時と同じ店名で天ぷら割烹を開きました。

Q.仕事を再開して、どのような状況ですか?

もともと仕事は好きですし、お客さまと話をするのも楽しいです。また、地元の方が「添田にこんな店を作ってくれてありがとう」と、応援してくれるのもうれしかったですね。最近は地元の方に加え、福岡県内のあちこちから足を運んでくださる方もいて、おかげさまで忙しくしています。週に2日休みを取っているのですが、1日は仕入れや仕込みに使っています。店を開ける日は朝5時から夜まで厨房にいるという以前の生活に戻りました。開業の時に息子が資金を出してくれたので、それを返済したらもう少しゆっくりと営業しようと思っています。福津市に住んでいる5歳の孫も「じぃじが遊んでくれなくなったからイヤ」と拗ねているようですし(笑)。

目の前で揚げる天ぷらを中心に和食を提供。気軽なランチからコースまでを用意する。
目の前で揚げる天ぷらを中心に和食を提供。気軽なランチからコースまでを用意する。

関西とは食材の味や水分量などが違ったりするのも面白いですね。ナスなんて全く違うので驚きました。対馬のアスパラガス農家さんを紹介してもらうなど、九州での新しい繋がりも生まれています。ただ、私の天ぷらの名物・レンコンだけは長年使っている徳島産のものを関西から取り寄せています。

「器も全部揃え直しました」と田中さん。九州の焼き物も楽しんでいるよう。。
「器も全部揃え直しました」と田中さん。九州の焼き物も楽しんでいるよう。
素材の扱いや整えられた店内に丁寧な仕事がうかがえる。
素材の扱いや整えられた店内に丁寧な仕事がうかがえる。

周りには移住者を気にかけてくれる人ばかり。自ら地域に飛び込んでいけば溶け込めるはず。

Q.仕事以外で地域の方たちと活動をしていることはありますか?

地域に溶け込むことが大切だと思ったので、自治会に参加して、清掃や行事などに参加してきました。そうやって地域の集まり事に顔を出しているうちに打ち解けてきたと思います。また、町の広報誌で見つけたのですが、公民館で開かれる「酒味の会」にも参加しています。毎月10~15人が自分のお酒とつまみをもって集まる会で、同年代の参加者が多く楽しいですよ。メンバーから料理を作ってと頼まれてブリ鍋を作ったこともあります。店を始める前は、自宅で料理教室を開いたこともあるんですよ。

Q.福岡県に移住を考えている人にメッセージをお願いします。

移住を考えている人は、これからの将来のことを考えて行動する人が多いと思います。私たち夫婦の場合はそうではなかったので、あまりアドバイスにはならないかもしれませんが、きっと周りの人はどこにいってもよそから来た人には親切にしてくれると思います。その気持ちを受け止めて、自分から地域の中に飛び込んでいけば、きっと一緒に楽しんでくれる人が増えるのではないでしょうか。

※当インタビューは、2023年10月25日に行われたものです。

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