Iターン
- Profile
- 山根勇志さん(38歳)、祐子さん(49歳)、心ちゃん(6歳)
- Work
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勇志さん:公認心理師、フリースクール経営
祐子さん:ポーセリンアート作家
Q.移住のきっかけを教えてください。
勇志さん:福岡県の大学卒業後、臨床心理士指定大学院を修了し、法務省職員として佐賀県の少年鑑別所に勤務しました。やがて、心に障がいを持つ方の支援に携わりたいと思うようになり、福祉の領域で働くことを決意。縁あって、神奈川県の福祉施設で働き始めました。その後、別の資格取得の勉強をするために下関市の実家に戻りましたが、福祉への気持ちを捨てきれませんでした。2016年、福岡県に移り住み、福祉の仕事に復帰。以来、放課後デイサービスや児童発達支援施設などで心理相談を行っています。移住先に福岡県を選んだ理由は、都会での生活に疲れていたから。過去に就職活動で訪れたことがあり、山や川といったのどかな自然が印象に残っていて、福岡県であればのんびり暮らせるという確信がありました。
祐子さん:私は神奈川県出身ですが、親の転勤が多かったため、京都府や青森県など全国を転々としてきました。東京の美術大学を卒業した後は、イラストレーター、羊毛フェルト作家として独立。東京や神奈川を拠点に、個展を開いたり百貨店で作品を販売したりしていました。2016年、結婚のため主人のいる福岡県へ移住し、その後、娘を授かりました。
Q.糸田町に移住したのはなぜですか
祐子さん:隣の部屋を気にせずに娘をのびのび育てるため、アパートから一軒家に引っ越したいと思ったからです。何十軒と見たなかで、一番生活しやすいと感じたのが今住んでいる糸田町の一軒家でした。役場やスーパー、郵便局など、生活に欠かせない施設まで歩いて行くことができて便利。近くに田んぼがあるのですが、初めて訪れた時に、稲穂が風に揺れる風景を見て幸せな気分に包まれたのを覚えています。
Q.自宅はどのようにして探しましたか?
勇志さん:最初にインターネットで目星をつけておき、不動産屋さんに連絡する前に、自分たちだけで物件のある地域に足を運びました。近隣の家との距離や駐車場の有無、周辺で困りそうなことはないかなどをしっかりと確認。周辺環境に納得したうえで内見したため、その場で即決できました。
Q.糸田町の生活はいかがですか?
勇志さん:引っ越す前は、娘がまだ小さかったので、近隣の方から苦情が出たらどうしようという不安がありました。しかし実際は、とても優しい方ばかりで安心しています。人の温もりを実感しながら生活できています。
祐子さん:地域ぐるみで娘を育てていただいているという感覚があり、子育てをするうえで心強いです。散歩をしていたら、近所の方から娘に声をかけていただくこともよくあります。小学生たちも人懐っこくて、公園に行くと初めて会ったにも関わらず一緒に遊んでくれるんですよ。そこで仲良くなった子どもたちが、家に遊びに来ることもあります。うちは一人っ子なので、本当にありがたいことですね。もし関東に住んだままだったら、こんなふうに子育てできていなかっただろうなと思います。
Q.子育てについて教えてください。
祐子さん:役場の窓口の方も保健センターの保健師さんも、とても親切に対応してくださいます。保育園では園児の数が少ないぶん、園長先生や担任の先生をはじめ、皆さんの目が一人一人に行き届き、おかげさまで娘は3年間楽しく登園することができました。また、小学校に上がるまでは、糸田町子育て支援室※によく連れて行っていました。スタッフの方が娘と遊んでくださっている間に、ほかの保護者の方と交流を深めることができるので、友達を作ることができました。子育てで頼れる親類が近くにいなかったので、本当に助かりました。
Q.生活のなかで、どのような時に楽しいと感じますか?
勇志さん:近所を散歩やジョギングしている時に幸せを感じます。特に朝は、空気が澄んでいて気持ちがいいんですよ。都会のビルばかりの景色とは違って、自然がたくさんあって癒されます。また、娘と一緒に公園や図書館に行くのも楽しいですね。よく近所の「泌泉(たぎり)公園」でサッカーをしたり、ブランコや滑り台で遊んだりしています。
祐子さん:正直、東京にいた頃は、散歩の楽しさがわかっていませんでした。しかし、糸田町に来てからそれが一変しました。春は菜の花が川べりを覆い、桜の花びらが風に舞う。秋になるにつれて、緑だった稲穂が黄金色へと変わっていく。都会では感じることのできなかった春夏秋冬の良さを、日常生活のなかで体感しています。都会好きの母親も最初は「暮らしていけるの?」と心配していましたが、最近はこちらに遊びに来た時に、父親と連れ立って隣の福智町にある温泉に行くなど、リラックスして過ごしているようです。
Q.糸田町に移住して、生活面で変化したことはありますか?
祐子さん:以前は友達と新宿で待ち合わせをして、買い物をしたり終電までお酒を飲んだりして、深夜に帰宅することも珍しくありませんでした。今思えば、生活リズムはめちゃくちゃでしたね(笑)。しかし、糸田町に移住してからは健康的な生活になりました。朝起きてご飯を食べて、仕事をしてお昼ご飯を食べる。また仕事をして夕飯を食べたら、お風呂に入って寝る。自分にはそんなシンプルな生活が合っているのだと、移住して初めて気づきました。
勇志さん:晴れた日はよく日向ぼっこをするのですが、神奈川県に住んでいた頃は買い物や飲みに行くことばかりだったので、そんな発想はまったくありませんでした。確かに、都会と比べてお店は少ないですが、退屈になることはありません。周りを見渡せば、美しい自然や景色、新鮮な果物や野菜など、都会ではなかなか出会えない感動がたくさんあります。
Q.現在のお仕事について教えてください。
勇志さん:以前から障がいを持たれている方の療育支援を行っており、現在も継続しています。2019年には、もっと活動の分野を広げたいと思い、心理に関する日本初の国家資格、公認心理師を取得しました。福岡県障がい児等療育支援事業に携わり、田川市郡やその周辺地域の障がい児施設、保育所、個人宅に伺って、お子さんへの接し方や、お子さんが抱える友人関係の悩みといったお悩みを聞いてアドバイスしています。
また2023年から、不登校になったお子さんを対象にしたフリースクールの事業を開始しました。週に2回、お子さんたちを自宅に招き、ボードゲームや手芸、時には川遊びなどさまざまな体験を通して、対人スキルの向上や心の安定を図っています。元気がなかったお子さんに笑顔が増えたり、不登校のお子さんが今後の目標をもったりすると、この仕事をやってよかったなとつくづく感じます。
祐子さん:私は、ポーセリンアート作家として活動しています。ポーセリンアートとは、ティーカップやお皿に転写紙や専用の上絵具などを使って絵柄を付け約800℃の高温で焼成して仕上げるアートの総称です。お皿にイラストを描く仕事を引き受けたのをきっかけに、去年の6月くらいから本格的に始めました。鳥をモチーフにした食器を手掛けていて、東京や大阪、最近では地元九州での百貨店からお声がけいただき、催事に出品しています。
また、フリースクールでは、子どもたちに羊毛フェルトを教えています。手芸の良いところは、目の前の作業に集中できるということです。不登校のお子さんは、時間を持て余した時に不安を感じやすいので、手芸をしている時だけでも悩みから解放してあげることができたらと思っています。作品が完成した時に喜ぶ姿を見たり、家でも手芸をするようになったという話を聞いたりすると、やはり嬉しいですね。
Q.これからこの街でどのように暮らしていきたいですか。
勇志さん:地域の皆さんの心の専門家として、何かあったら気軽に相談してもらえるようになりたいです。日頃からとてもお世話になっているので、少しずつでも恩返しをしていけたらと思っています。またプライベートでは、自宅の裏に畑があるので、自給自足の生活に挑戦してみたいです。今年は大雨でできませんでしたが、近所の方に教えていただいたり自分たちで試行錯誤したりして、ニンジンやトマトなどを育てたことがあるんですよ。
祐子さん:私は、このフリースクールに限らずいろいろな場所で、子どもたちが気軽にものづくりの楽しさに触れられる機会を作っていきたいです。創作活動においては、今のまま楽しく健康的に続けていけたらいいですね。
Q.福岡県や糸田町に移住を考えている人にメッセージをお願いします。
祐子さん:糸田町は人が親切なので、安心して子育てができます。また、創作活動をしている方にもおすすめで、自然に囲まれて生活していると、心が穏やかになって作業に集中できます。アイデアも湧きやすく、散歩をしていると突然ひらめくこともよくあります。
勇志さん:福岡県は、大きな都市があるにも関わらず、関東と比べて物価が安いのが魅力です。食べ物も美味しいし、身近に自然が広がり、温泉だってあります。地域ごとに違った魅力があるので、まずは下見に出かけてみてはいかがでしょうか。糸田町には空き家がたくさんあるので、そのぶん、新しい生活や事業を始める可能性が秘められているかもしれません。移住にしても起業にしても、あれこれ考えていたら決断できずにタイミングを逃してしまいます。やはり、一歩踏みだすことが大切です。
※当インタビューは、2023年11月7日に行われたものです。
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