Uターン
- Profile
- 永山 律雄さん(47歳)
- Work
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猟師、ジビエ料理店 経営
Q.移住のきっかけを教えてください。
石垣島で始めた狩猟を仕事にしたいと思ったことがきっかけです。約10年前に移住した石垣島では理学療法士として病院に勤務していました。ある時、リハビリを担当した患者さんの話を聞いて狩猟に興味を持ち、イノシシ猟を始めることに。「わな猟免許」を取り、試行錯誤しながら猟をしていたところ、師匠となる人と出会い、本格的に狩猟の世界にのめり込んでいきました。石垣島で捕獲される「リュウキュウイノシシ」は幻の食材として珍重され、猟師も多いのですが、離島なので販売するにも輸送費などがかさみます。害獣駆除の補助金もないので、仕事にするには難しいと感じていました。そこで、地元の福岡で猟師を仕事にすることを選んだんです。
Q.移住するにあたって、どんな準備をしましたか。
元々料理が好きだったこともあり、福岡では猟に加えてジビエ料理のレストランを開くことを考えて準備を進めました。食肉の加工も行いたいと考えていたので、石垣島にいた頃にハム工場に勤めて加工技術を習得しました。また、福岡のジビエ事情もあらかじめ調べて、同業の人が少ない地域を探しました。岡垣町に移住したのは、ジビエの施設がなかったことや、役場の方にイノシシ駆除の話をした際に「ぜひ移住を」と言ってもらえたこと、そして猟とレストランを営むことができる家が見つかったことが決め手になりました。
Q.どんなことに苦労しましたか。
家を探すことが大変でしたね。猟や処理加工をするので人里から離れた場所にあり、隣家も少ない場所を見つけることが必須でした。運よく今の家を見つけることができたのですが、傷みが多く、約10ヶ月かけて家のあちこちを自分でリフォームしました。近所の人たちに資材を安く譲ってもらったりすることで、地域との交流が生まれたのはよかったですね。
Q.ご家族の反応はいかがでしたか。
母は「理学療法士の国家資格も持っているのに、なぜその仕事を?」と言いました。狩猟をして、獲物を食肉に加工するということに抵抗感がある人はやはりいます。でも誰かがやらないといけないことなので、そう言われても気持ちは揺るがなかったですね。今では父と一緒に庭の手入れなどの手伝いに来てくれているので、口には出しませんが応援してくれているんだと思います。
Q.現在の仕事について教えてください。
狩猟と食肉の販売、ジビエ料理店「べんけい」の営業を行っています。岡垣で狩猟を始めたのは今年の4月から。石垣島では1年目で2頭、2年目で15頭、3年目で20頭くらいだったのですが、ここでは最初の20日間で9頭も獲れたほどの捕獲量です。やはり山にイノシシが増えているということを実感しました。平日は主に狩猟や加工をして土日はレストランの営業、予約があれば平日も店を開けるので、猟を始めて以来ほぼ休みはありません。
Q.どのようなことが仕事のやりがいですか。
地元の方々が期待してくれて、捕獲すると感謝してもらえることです。罠をかける場所を探して農家の方に話しかけると、最初は怪しまれるのですが(笑)、「イノシシを獲りたい」というと、必ずといっていいほど「ありがとう」と感謝されます。まだ獲れてもいないのに野菜をくれたり。そういう期待を感じるとがんばろうという気持ちになりますね。罠を置かせてもらっている農家のおじさんも「イノシシがかかっているかもしれないから、農地に行くのが楽しみになった」と言ってくれたりして。みなさん、やはり獣被害に困っていたということが伝わってきます。土地の所有者さんや農家さんと話すことが多く、地域にも溶け込みやすかったですね。一緒に罠の見回りをするような狩猟仲間もできました。
レストランでは、イノシシやアナグマ、シカなどをしゃぶしゃぶや焼肉、唐揚げなどで提供しています。サラミやチョリソーなどの加工品も好評です。ジビエを食べた経験がない人やお子さんでも食べやすいようにと、ハンバーガーやピザなどの料理も作っています。ジビエを食べる人が増え、消費が広がるきっかけになればうれしいですね。また、イノシシやシカなどをただ駆除するだけでなく、責任をもってジビエとしていただく意味も伝えていきたいです。
Q.岡垣町の暮らしはいかがですか。
これまでに住んでいたのが石垣島だったので、とにかく何でも便利に感じます。ホームセンターの隣に業務用スーパーがあるなんて夢のようです(笑)。選択の自由がありますし、欲しいものがすぐに手に入ります。とは言いながら石垣島に住んで身に付いた、少ない物資で工夫する知恵は今の仕事にも役立っています。
Q.移住してよかったと思うことを教えてください。
趣味が仕事になったことが一番よかったことです。使う時間がないということもありますが(笑)、金銭的にもやっていけています。また、中高や大学の友人や先輩との繋がりを感じられるのも地元ならではですね。店を作る時には、消防署で働く高校の柔道部の先輩が消防法のことについて教えてくれたり、役場にいる先輩が何かと気にかけてくれたり。とても助けられています。故郷が中間、石垣、岡垣3つになり、どこの人たちにもよくしてもらえているのがありがたいですね。そしてストレスを感じることが減り、毎日くたくたになって眠りにつけることが幸せです。体が資本の仕事なので、怪我や健康に気を付けて、続けられる限りやっていきたいと思います。イノシシが獲れなくなった時には…整体院を開きましょうかね(笑)。
Q.福岡に移住を考えている人にメッセージをお願いします。
福岡県はUターン移住でしたが、石垣島の時はゼロの状態からの移住でした。知らない土地に移住する人に伝えたいのは、ちゃんと挨拶をしましょうということです。まちの大きさに関係なくどこに行っても、同じようにいろんな人がいます。自分からちゃんと溶け込むという意識を持てば、きっと気持ちが通じる人がいて、自然と土地になじむことができるのではないでしょうか。私はそうやって石垣島で暮らしてきました。タレントの松村邦洋さんの名言「あいさつにスランプなし」の気持ちを胸に、移住生活を楽しんでください。
※当インタビューは、2021年10月26日に行われたものです。
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