移住者インタビュー

田川市 北 敢さん

田川市は、誰かとつながるのにちょうどいい規模。東京のほうが圧倒的に人口が多いにも関わらず、移住してからのほうがたくさんの人と出会えます。

移住者DATA

Iターン

北 敢さん

Profile
北 敢さん(31歳)
Work

高校教師

千葉県出身、田川市在住。中学3年の時に、父親の仕事の関係でカリフォルニアへ渡る。大学進学を機に帰国し、卒業後は東京の不動産会社に就職。その後、人材紹介会社に転職するが、キャリア教育に携わりたいとの思いで教師の臨時免許を取得。2018年に田川市の小学校に赴任した。2021年度から同市内の高校に赴任。社会科全般で教壇に立つ。

お神輿を担いでいると、見物客のなかから「先生がいる!」という生徒たちの声が。移住してすぐに地域に溶け込むことができました。

Q.田川市に移住するまでの経緯を教えてください。

以前は、東京の人材紹介会社に勤めていましたが、子どもたちの社会的・職業的自立に向けたキャリア教育に携わりたいとずっと思っていました。そこで教師になるために、Teach For Japanという教育系のNPO法人に応募することに。ここでは、一定期間の研修を受けると、自治体から臨時免許が発行されます。その後、教師として全国各地の学校に配属され、私の赴任先に選ばれたのが田川市の小学校でした。福岡には縁もゆかりもなく、ましてや田川市のことは何も知りませんでした。初めて田川市に訪れたのは、たまたま大雪の日。南国のイメージが強かっただけに、とても驚いたのを覚えています(笑)。ただ、その時に見た「石炭記念公園」の二本煙突と雪の景色が感動的で、なんて素敵な場所なのだろうとしみじみ思いました。

「石炭記念公園」の展望台からは、二本煙突や竪坑櫓など筑豊ならではの風景が望める。
「石炭記念公園」の展望台からは、二本煙突や竪坑櫓など筑豊ならではの風景が望める。

Q.移住にあたり準備をしたことはありますか?

それが、研修と前の仕事の関係で、引っ越しの準備でさえもまともにできなかったんですよ。とりあえず、バックパックとスーツケースだけを持って飛行機に乗り、福岡に着くとその足で中古車ディーラーに行って、車で田川市に向かいました。その後は、旧猪位金小学校を利活用した「いいかねPalette」に宿泊してアパート探し。そこで1週間くらいかけて探した結果、希望にかなった2LDKのアパートを見つけることができました。千葉にいた頃も2LDKのアパートに住んでいましたが、なんとその半分以下の値段で借りることができたんですよ。結局、アパートの清掃などの関係で1ヶ月くらい「いいかねPalette」で生活しました。一般的なホテルよりも宿泊料が安いので、安心して長期滞在できました。

廃校を利活用した「いいかねPalette」。敷地内には、ここが「人がいて成り立つ場所」であることを象徴するようなオブジェが。
「廃校を利活用した「いいかねPalette」。敷地内には、ここが「人がいて成り立つ場所」であることを象徴するようなオブジェが。

Q.移住するにあたり不安だったことはありますか?

地域の方々と、知り合いになれるだろうかという不安がありました。とはいえ、生徒と大人の橋渡しをしたいと思っていたので、自分が地域に溶け込まないことには何も始まりません。そこで引っ越して間もなくして、「春日神社神幸祭」という地元のお祭りに参加しました。お神輿を担いでいると、見物客のなかから「先生がいる!」という生徒たちの声が聞こえてきて、地域の方に顔を覚えていただくよい機会になりました。やがて飲み会やイベントに誘っていただくようになり、そこからは芋づる式で知り合いが増えていきました。東京のほうが人口が多いにも関わらず、移住してからのほうがたくさんの人と出会えています。私にとって約5万人という田川市の人口が、人と出会うのにちょうどいい規模なのかもしれません。

「春日神社」にて。毎年5月の「春日神社神幸祭」では、ここから後藤寺商店街へと神輿が駆け抜ける。
「春日神社」にて。毎年5月の「春日神社神幸祭」では、ここから後藤寺商店街へと神輿が駆け抜ける。

何かをやりたいと思った時に、協力してくれそうな方の顔がすぐに浮かぶ。この町に来てから、チャレンジ欲が強くなりました。

Q.住み始めてからの田川市の印象を教えてください。

人が温かく、それでいて情熱的です。現在、田川市は人口の減少と高齢化が進み、商店街も元気のない状態です。しかし“もう一度活気のある町にしたい”、“新しい時代の産業を生み出したい”と、町のことを真剣に考えている方が、世代を問わずにたくさんいるんですよ。しかも、炭鉱時代の名残なのか、来る者を拒まずという文化が根付いています。私が初めて「春日神社神幸祭」に参加した時も、ファミリーのように温かく受け入れてもらえました。

西田川高校からほど近い場所にある後藤寺商店街のアーケードにて。
西田川高校からほど近い場所にある後藤寺商店街のアーケードにて。

Q.日々の生活のなかで、楽しいと感じるのはどのような時ですか??

新しく出会った方々と協力して、何かに取り組む時ですね。これは自分のライフワークだと思っています。現在、赴任している西田川高校では「西高キャリアチャンネル」という動画を配信していて、さまざまな職業の方を紹介しています。まさに昨日、後藤寺商店街で偶然知り合った方と話が盛り上がり、今度、この動画に出演していただくことになったばかりなんですよ。また、「いいかねPalette」で知り合った方々に、学校で講演をしていただいたこともあります。このように、何かをやりたいと思った時に、協力してくれそうな方とすぐにコンタクトできるので、チャレンジ欲が強くなりました。

YouTube 西高キャリアチャンネル(外部リンク)https://www.youtube.com/channel/UC9Gyp7nONe6kAaaGNJfJxVg

Q.休日はどのように過ごしていますか?

家にずっといるのが好きではないため、外出することが多いですね。バレー部の副顧問をしているので午前中は部活に行き、その後は「いいかねPalette」で仕事をしたり、これから取り組みたいことの企画を練ったりしています。また、添田町の英彦山や大分県の日田市までドライブをして、立ち寄ったカフェなどで作業をすることもあります。帰りは温泉に浸かりながら、「次はどんな授業にしようか」「どういうキャリア教育を行っていこうか」などと考え事をしています。気づけば30分くらい湯船に浸かっていることも珍しくありません(笑)。温泉での時間は、自分にとってはアイディアを生むために欠かせないものですね。あとは、九州の道の駅巡りにもはまっています。スタンプラリーのスポットが130か所くらいあるのですが、約2年半ですでに100か所を突破しました。

「いいかねPalette」で作業をする北さん。「いろいろな職業の方と出会えるので、以前は週に1度のペースで通っていました」と移住当初を振り返る。
「いいかねPalette」で作業をする北さん。「いろいろな職業の方と出会えるので、以前は週に1度のペースで通っていました」と移住当初を振り返る。

周囲と連携して、学校と地域の橋渡し役に。
生徒たちが自分の将来像を考えるきっかけを作りたい。

Q.現在の仕事について教えてください。

この春から西田川高校で地理、歴史、公民を教えています。ここで働くことになったきっかけは、昨年、小学6年生を対象に1年かけて行った、田川市の魅力や課題について考える授業です。集大成として、生徒たちが理想の田川市をボードに描いて、地元の中学校や商店街、市役所、企業の方々の前で発表したのですが、その活動を今の校長先生が見てくださっていて、「ぜひうちの高校で」とお声がけいただきました。小学校での任期が終わった時に、田川市に残って教育に関わりたいと考えていたのでとてもありがたかったです。

小学校に赴任していた頃の北さん。「給食が美味しくて一時期、10kgも太りました」と頬を緩ませる。
小学校に赴任していた頃の北さん。「給食が美味しくて一時期、10kgも太りました」と頬を緩ませる。
現在、高校では1年生のクラス担任を務めている
現在、高校では1年生のクラス担任を務めている。

Q.お仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?

この3年間で培ってきたコネクションを活かして、学校と地域の橋渡し役になれた時です。先週、田川市で仕事をしている方々が講座を行う「近未来ガイダンス」というイベントが学校であり、知り合いの方にも協力していただきました。西田川高校では今年の1年生から、県内でも4校しかないフレックス型単位制が導入されています。大学と同じように自分で時間割を作成するのですが、将来どうなりたいかという目標がないと作ることができません。生徒たちが地域の方と繋がり社会のことを知ることで、自分の将来像を考えるきっかけを作ることができたらと思っています。

Q.教師のお仕事以外で活動されていることはありますか?

「春日神社神幸祭」に参加した時のご縁で、炭坑節で町おこしをするダンスサークルに所属しています。お祭りやイベントがある日に、現代風にアレンジした炭坑節を披露しています。ほかにも、福岡県のキャリア教育に取り組む団体や、田川市の教師の勉強会などのコミュニティにも所属。さらに最近は、博多にもコミュニティができてきました。大学生のインターンのお手伝いをするために、多い時には週に1度のペースで足を運んでいます。

Q.移住にあたり、あったらよいなと思う制度はありますか?

西田川高校では、県外から入学される生徒さんも歓迎しています。もしも、今通っている高校や地域のコミュニティに馴染めなかったり、生きづらさを感じたりしているのであれば、うちの高校でのびのびと育ってもらいたいと考えています。そのためには、親御さんも一緒に移住することになると思いますが、やはりネックになるのが仕事ではないでしょうか。そこで移住者の方々に向けて、さまざまな業種の仕事を紹介する制度があるといいと思います。そうすると、移住のハードルがぐんと下がるはずです。

目標のある方にとって、大きな可能性のある町。自分から積極的に繋がろうとすれば、力になってくれる人が見つかるはずです。

Q.福岡県や田川市の魅力を教えてください。

自然に恵まれた福岡では、キャンプや釣り、登山といったアウトドアを気軽に楽しめるため、退屈することがありません。また田川市は、馴染み深いチェーン店もあるし、博多まで車に乗って1時間ほどで行けるし、思っていた以上に住みやすい町です。食べ物も美味しくて、海がない市なのに新鮮な魚を味わえるお店がたくさんあるんですよ。さらに弥生時代の古墳、炭鉱時代の温かい人情など、いろいろな歴史や文化が残っています。炭鉱の町なだけに、そういうものを掘っていくのも面白いと思います(笑)。

Q.これからこの街で、どのように暮らしていきたいですか?

現在は、生徒たちが地域について、学校内で学んでいる状態です。今後は外に出て、地域の方と交流できる仕組みを作っていきたいです。それが実現するまでは、この町で教育に携わり続けないといけないという義務感を抱いています。生徒たちが、お世話になった地域に恩返しをしたいと思えるような、地元愛のある大人に育ってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。現在は、その活動に協力してくださる方々を探している段階です。

Q.移住を考えている人にメッセージをお願いします。

田川市には、熱い思いを秘めた方がたくさんいます。何かやりたいことがある方は、そういった方々を巻き込むと、大きな力になってくれるはずです。そのためには、自分から積極的に人と繋がっていくことが大切です。人の情熱に触れたいという気持ちと積極性があれば、可能性が着実に広がる町だと思います。迷っているならぜひ一度、足を運んでみてください。

※当インタビューは、2021年10月23日に行われたものです。

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