Jターン
- Profile
- 松本 恭平さん(32歳)
- 松本 有沙さん(32歳)
- Work
-
恭平さん:福岡県農業大学校 学生
有沙さん:会社員
Q.移住のきっかけを教えてください。
恭平さん:コロナ禍を機に、住み慣れた九州で暮らすことを決めました。東京に暮らしながらなんとなく「いつかは九州に」と考えていたのですが、二人とも忙しく働いていたので、移住のタイミングを話し合うことはありませんでした。本格的に移住を考えるようになったのは、2020年春の新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言の時です。感染者の多い東京で暮らすことに不安を感じるようになりました。
有沙さん:夫の家族は山口県に、私の家族は長崎県に住んでいます。特に東京からでは国内の移動もままならず、何かあった時にも駆けつけられないし、来てもらうこともできない。その距離感にもどかしさを感じるようになり、本格的に移住を検討するようになりました。
恭平さん: 二人の意見も合ったので2020年5~6月頃から情報収集を始めました。まずは有楽町にある「ふくおかよかとこ移住相談センター」へ。担当の方がとても親切で、住む場所の探し方や移住支援の制度などについても教えてくれました。
有沙さん:利用はしていませんが、仕事の紹介の話などもしてくれました。パンフレットもたくさんいただいたことで、移住のイメージが湧きましたね。
恭平さん:そのほかにも、オンラインで開催された移住フェアにも参加しました。実際に福岡県に移住した方の話を聞くことができてよかったです。
Q.移住先に福岡県を選んだ理由を教えてください。
有沙さん:私は小学2年生から中学1年生の間、福岡市で暮らしていました。都市部に住んでいたのですが、休日はドライブ好きの父からいろいろな場所に連れて行ってもらい、街と自然が近い福岡の暮らしやすさを知っていたので、福岡で暮らしたいと思いました。
恭平さん:私は福岡県に住んだことはなかったのですが、移住先を福岡県にするということには賛成でした。親が住んでいる山口県にも近いですし、大分県や長崎県に住んでいたので福岡県は身近な存在でした。
Q.ご家族の反応はいかがでしたか。
恭平さん:距離が近くなるということには喜んでいましたが、仕事を辞めることについては心配していましたね。でも「やりたいことがあるならがんばれ」と応援してくれました。
有沙さん:私の両親も同じような反応でした。やはり夫の仕事のことが心配だったようです。福岡に住むことについては、両親も福岡が大好きなので、「いいな~」とうらやましがっていました(笑)。引っ越したばかりの時も手伝いに来てくれたり。そろそろ行き来もできそうな状況なので会う回数も増やしていきたいですね。普通の週末に遊びに行ける近さがうれしいです。
Q.現在の仕事について教えてください。
恭平さん:福岡県での就農をめざし、筑紫野市にある福岡県農業大学校で学んでいます。大学卒業後から昨年までは産業用機器のメーカーに勤務していたので、まったく異なる分野への挑戦になります。仕事はやりがいがあり、仲間にも恵まれていたのですが、満員電車で通勤して夜遅くに帰宅する生活に疲れを感じるようになって…。もともと登山やキャンプ、ツーリング、スキューバダイビングなどアウトドアが好きで、自然と触れ合うことを仕事にしたいと思ったことから農業に関心を持つようになり、チャレンジすることに。初めての業種なので体力面などに不安はありましたが、30代前半なので遅くはないと思いました。
まずは2021年1~3月に糸島市の農業研修のプログラムに参加し、イチゴ、ナス、キュウリの農家さんで1ヶ月ずつ研修をさせてもらいました。みなさん温かく迎え入れてくれたので、不安な気持ちは徐々にほぐれていきましたし、屋外で体を動かすのが気持ちよかったですね。最初は体がきつかったのですが、気分はとても晴れやかだったので、農業をやっていこうと心も決まりました。農協や農業普及指導センターの方の勧めもあり、農業大学校で学びながら新規就農を目指すことにしました。
福岡県農業大学校では、新規就農を志す人や就農間もない人を対象とする研修科に入学しました。農業に関する座学や資格取得の勉強もありますが、畑に出て行う実習が学びの中心です。私は主に野菜農家を目指す班に所属して、種や苗から野菜を育て、管理し、収穫するという一連の実習を行っています。先生はもちろん、仲間からも農業について学ぶことが多く、充実した日々です。
有沙さん:私は新卒で入社した医療機器メーカーに現在も勤務しています。コロナの感染拡大が懸念され始めた頃、完全在宅勤務になり、アフターコロナも新しい働き方として在宅勤務が可能となったことから、場所を問わず働けることになりました。私のように東京を離れて地方で働く社員もいれば、滞在中の海外から仕事をする社員もいます。業務内容も東京にいた時とまったく変わりなく、柔軟に働けるのはとてもありがたいですね。
恭平さん:妻の仕事が東京以外でも続けられるというのも、移住の後押しになりました。二人とも仕事を辞めて新しいことに挑戦するのはリスクが大きいと思っていたので。
有沙さん: いろいろなタイミングがよかったということですね。私が変わらずに仕事を続けられると聞いて、お互いの親も安心していました。私の会社はワーキングマザーが多いこともあり、出産休暇や育児休暇の取得しやすい雰囲気です。復職後も時短勤務などの制度が整っているので、できる限り仕事を続け、松本家は夫の農業と私の仕事、二足のわらじでやっていきたいと思っています。
Q.普段の暮らしはどう変わりましたか。
恭平さん:家に帰る時間が早くなって、二人で夕飯の時間を過ごせるようになりました。東京にいた頃は二人とも忙しく、平日はそれぞれで食事を済ませることが多かったんです。
有沙さん:キッチンも以前より広くなったので、一緒に料理をすることもあります。旬の野菜を持って帰ってくれるので食材には困りません。私もコロナ前は朝も夜も会社で食事をすることが多かったので、食生活がいい方向に変わりました。野菜もおいしいし、お魚もおいしい。東京では探して買っていた九州の味噌や醤油がどこでも手に入る環境にほっとしますね。
恭平さん:会社勤めの時は、ぎりぎりの時間まで寝て朝食を朝食を抜くことも多かったのですが、いまは朝からもりもりと食べています。しっかり食べないと体が動かないですから。また、住まいもずいぶん快適になりました。東京では貯蓄のために23区内の1Kマンションに2人で住んでいたのですが、今の家は広さは約2.5倍、家賃は約半分になりました。いろんな意味でのストレスが減りましたね。
Q.不便に感じることはありますか。
恭平さん:車がないと移動が難しいところでしょうか。車を買わないといけないですし、二人ともペーパードライバーだったので最初の頃は運転に慣れませんでした。
有沙さん:私はまだあまり車の運転はしていないのですが、住んでいる場所は駅やスーパーも徒歩圏内にあるので普段の生活に困ることはありません。JRと西鉄電車どちらの駅も近いので、博多も天神もすぐに行けて便利です。ただ、東京では見なかった時刻表をチェックして出かけるようになりました(笑)。
Q.これから楽しみにしていることはありますか。
恭平さん:妻と私の共通の趣味であるスキューバダイビングを楽しみたいです。今はまだ県外にあまり出かけていないのですが、状況が落ち着いたら九州各地の海に潜りに行きたいですね。山にも登りたし、釣りもしたい。九州の自然を満喫したいです。
有沙さん:東京では音が気になったり、場所が狭くてできなかったDIYにも挑戦してみたいです。
Q.住んで気づいた福岡の魅力を教えてください。
恭平さん:自然と街のバランスのよさや住みやすさ、人の優しさなど、挙げて行けばきりがないほど、いいところばかりだと思います。空港が近いので国内や海外の各地に行きやすく、福岡から九州内の移動もしやすいですね。
有沙さん:都心と自然豊かな場所、お互いのアクセスがいいというのは魅力ですね。ほどよく都会でほどよく田舎。閉塞感を感じることなく暮らせる場所です。
Q.福岡に移住を考えている人にメッセージをお願いします。
恭平さん:農業を始めようと考えている方へ伝えたいのは、「ある程度の資金があった方が、自分が希望する農業ができる」いうことです。農地や農業機械、種や苗など初期投資にも資金が必要です。就農支援制度もありますが、事前に準備をしておけば、より自由にやりたい農業を目指せます。東京での生活では、将来必要になった時のためにと堅実に貯蓄していましたが、その時の蓄えが今生きていると感じます。
有沙さん:本格的な移住の前に、短期間でもいいので福岡に住んでみるといいのではないかと思います。私たちは九州出身なので身構えることなく移住できましたが、東京や都市部だけで暮らしてきた方にとっては、ギャップを感じる環境かもしれません。後悔をしないためにも、旅行とは違う形で福岡を感じてみるといいのではないでしょうか。
※当インタビューは、2021年11月19日に行われたものです。
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