移住者インタビュー

LIFE STYLE 苅田町

周りに支えられて、困難を乗り越えた日々。移住して、明らかに人生観が変わりました。今は働くことが楽しくて仕方ありません。

移住者DATA

Iターン

Profile
崎田昌弘さん(64歳)
Data
大阪府出身。大手飲食チェーンの総料理長や商社の営業などを勤めた後、2014年に奥様の地元である苅田町に移住する。仕事では店舗外観や商品パッケージのデザイン、メニュー開発などマルチな才能を発揮。趣味はガーデニングで、ハーブや花を育てる。
Work
デザイナー

大阪の頃と同じ生活はできないことを痛感。先輩の“なんちゃないよ”の言葉に救われました。

インタビューを受ける崎田さん

Q. 移住のきっかけを教えてください。

故郷の大阪で60年以上生活していましたが、もともと結婚する時に妻の両親と、いずれは苅田町にある妻の実家に戻るという約束をしていました。3年前、定年退職を機に引っ越し、現在は妻とその母の3人で生活しています。

Q.移住に際して、不安なことはありましたか?

大阪で定年退職後、自分の力を試したいと思って料理コンテストに参加したところ、グランプリを獲得。自信を得て、移住したらレッスン用の家を建てて、料理教室を行おうと考えていました。妻も、大阪で行っていたテーブルコーディネートやフラワーアレンジメントの教室を開く予定でした。だから不安に思うことは特にありませんでしたね。しかし、いざ始めようと思って工務店の方と相談するうち、当初見込んでいたほどの需要はなく、そういった教室だけで生計を立てることが難しいと分かってきて…。移住してさっそく、大阪とは同じ生活ができないのだと痛感しました。

Q.どのようにして生計を立てたのですか?

生活のこともあるのですが、まだまだリタイアする気がなかったので、知り合いを頼って大阪へ出稼ぎに行きました。幸いなことに移住後を見据えてWebデザインの教室に通っていたため、お店のPOPデザインなどで生計を立てることができました。一年の半分は大阪にいるという生活が続き、正直、大阪に帰った方がいいんじゃないかと思うこともありました。

Q.今の仕事は、どのようにして見つけましたか?

このままではいけないと思ってハローワークへ行ったのですが、なかなか自分の経歴を活かせる仕事や、この年齢でも就ける仕事が見つからなくて…。他にどこに行けば情報を得られるかも分からなかったので、インターネットで仕事を探していました。しかし調理師学校や文化講座の講師、チェーン店と、求人に申し込んでもそうそう取り合ってもらえません。最後の頼みの綱で「福岡県70歳現役応援センター」に登録したら、和食店での調理業務を紹介されました。現役時代は洋食専門だったし、調理場に立つのは久しぶりだったので不安でしたが、皆さんがとても親切なので助かりました。特にひとつ年上の先輩には優しく面倒をみてもらい、彼の“なんちゃないよ(なんてことないよ)”という言葉にどれだけ救われたことか。これまでの悩みや苦労がすーっと吹き飛んでいき、力が湧いてきました。
その後、趣味のガーデニングで大豊作になったラズベリーを、たまたま近所のスイーツショップに持って行ったことが転機に。オーナーに喜んでもらい、お店のホームページやPOP、外観のデザインを手がけさせてもらうようになりました。現在は、この仕事がメインになっています。

仕事の拠点となっているスイーツショップ。テントのデザインや店内外のフラワーデザインなどを手がけています。
仕事がなく辛い頃は、県内屈指の工業港である苅田港で、コーヒー片手に夕日を眺める日もありました。

人から求められることの喜び、誰かの役に立つことの喜び。移住してから、働くことの楽しさに気づけました。

Q.移住してからの変化を教えてください。

和食店で知り合った先輩の紹介で、クリスマスディナーでローストチキンを切り分ける短期の仕事をやったのですが、これがもう本当に楽しくて。直にお客さんの温かさに触れることができ、働くことや人から求められること、誰かの役に立つことの喜びを実感しました。大阪時代は家族のために働いていたのが、今では自分が楽しくて働いている。移住してから、明らかに人生観が変わりました。もう、大阪には帰りたいとは思いません。たまに遊びには行きたいですけどね(笑)。

人との繋がりによってもたらされた充実の日々。この縁を活かして、今後は妻をバックアップしたい。

Q.現在の生活について教えてください。

自宅の庭では、ローズマリーやレモングラスなどのハーブをメインに栽培。

スイーツショップの紹介で、経営者協会の団体に所属しています。ある日、「働きは最上の喜び 顔晴れ自分」をテーマにしたスピーチを行ったところ、非常に評判がよく、協会の役員を務めさせていただくことになりました。これによって、また交流の輪がぐんと広がりました。人の縁によってここまで道を切り開くことができたのだと、つくづく感じています。おかげさまで今は、自由に好きなことに挑戦できている日々。ただ、忙しくて趣味のガーデニングがおろそかになりがちなので、週に1日の休日を3日に増やしたいと考えています。そのうちの2日間はガーデニング、そしてもう1日は、妻との水入らずの時間にしたいですね。

得意のフルーツカービング。スイカの表面に美しいバラを咲かせます。
ホワイトチョコレートのフリルで作る春の花。蜜を求める虫の姿も表現。

Q.移住して奥さんに変化はありましたか?

私の姿を見て、妻が「私もレッスンを始めようかな」と言ってくれました。大阪の頃と違って教室の開催など好きなことをできずにいたので、今まで随分と寂しい思いをしてきたのではないでしょうか。これからは妻が元気に活躍できるように、たくさんのコネクションを作ってサポートしていきたいですね。

理想と現実をしっかりと見据え、充実した移住生活を実現させましょう!

Q.これから苅田町でどんなふうに暮らしていきたいですか?

地場産の物を使って、食品の開発や店舗コーディネートなど“食と飾(しょく)”に携わり、街のお宝を発掘していきたいですね。実際に苅田町には魅力的な果物や野菜がたくさんあり、なかでも私はイクリ(スモモの原種)に注目しています。3年前、ある物産館で見つけたイクリがとても興味深くて。程よい酸味があり、色も真っ赤を通り越して黒に近かったんですよ。しかも無農薬、無肥料の放置栽培。これを何とかして広めたいと、最近はスイーツやピクルス、ドライフルーツなど美味しい食べ方を研究しています。

崎田さんが考案したイクリのスイーツ。奥様が淹れた紅茶との相性もぴったり!
「自分で育て、自分で生ける」フラワーアレンジメント。
彼岸花や棚田など、季節の風景を楽しめる等覚寺(とかくじ)地区。大阪の箕面山を思い出させる眺めです。

Q.移住を考えている方にメッセージをお願いします。

苅田町は都会より交通量が少なく静かですし、コンビニなどの駐車場もとても広い。足の不自由な私でも、車さえあれば、本当に快適に過ごせる街ですよ。地域に馴染むには、まず現地の言葉に慣れること。ずっと関西弁だった私にとって、移住して最初に感じたのが言葉の壁でした。ニュアンスが分からない言い回しもあり、慣れるまでに少し時間がかかりましたが、地元の方たちと同じ言葉で交流しながら働くのは気持ちのいいものです。また、やりたいこととできることには隔たりがあるので、互いを天秤にかけることも大切。たくさんの情報を活かして、充実した移住生活を満喫してくださいね。

※当インタビューは、2017年9月25日に行われたものです。

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