移住者インタビュー

LIFE STYLE 川崎町

諦めざるを得なかった福島でのリンゴ栽培。長年の経験を生かせる新天地を求め、夫婦で川崎町に移住を決意しました。

移住者DATA

ターン

Profile
渡邉正典さん、喜美子さん(65歳、65歳)
Data
正典さん、喜美子さん共に福島県出身。福島市内でリンゴやモモの果樹農家を営んでいたが、2011年に起きた福島第一原発事故の影響により、栽培を断念。震災復興の活動を通して福岡県出身の方と出会ったことをきっかけに、2015年川崎町へ移住。現在、正典さんは「川崎町観光りんご園」の管理を行っている。
Work
夫:川崎町臨時職員 妻:主婦

福島第一原発の事故の影響で、自分のリンゴに誇りをもてなくなり、長年続けた生産をやめました。(正典さん)

インタビューを受ける正典さんと喜美子さん

Q. 移住のきっかけを教えてください。

正典さん:私も妻も福島県出身で、父の代から続くリンゴとモモの果樹園の経営と米作りをしていました。600年くらい続く家でして、福島から出ることは考えていなかったのですが…。きっかけは2011年3月に起きた東日本大震災です。すごい揺れが6分くらい続き、もうダメかと思いました。家は何とか住める状態だったのですが2階はめちゃくちゃ。モノは崩れるガラスは割れる…。とにかくすごかったんです。でも移住を考える一番の要因になったのは、東京電力福島第一原発の事故です。自宅から原発までは約60kmなのですが、爆発した時の風向きや雪の影響で福島市内も放射能に汚染されました。それまで、かなりの量のリンゴやモモを作っていたんです。顧客は北海道から沖縄まで。とても喜ばれていたのですが、原発事故以降、注文は減り、出荷してもそれまでの1/10くらいの値段にしかならない。作れば作るほど赤字になる状況で…。そして、私たちが作ったものを食べることで、もしかするとお客さんの健康を害するかもしれない。私たちも被害者ですが、リンゴやモモを生産して出荷することで加害者になるかもしれない。農家としてそれは許せないことなんです。自分たちの作るものに誇りをもてなくなり、2013年に生産をやめ、仲間のリンゴ畑を手伝うなどして生活していました。

震災ボランティアが結んだ福岡との縁。夫婦二人で移り住み、再びリンゴ作りをしようと思いました。(正典さん)

インタビューを受ける正典さん

Q. 移住先に川崎町を選んだ理由を教えてください。

正典さん:震災の時、ボランティアに来られていた福岡県出身の方と知り合いました。翌年、その方が筑紫野市や福岡市で開いた九州と東北を繋ぐイベントに呼ばれ、私が震災や原発事故の体験を話したんです。その時に、「もし状況が許すならこちらでリンゴ作りをやってみるのも一つの手じゃないか」と言われ、農地などを見学させてもらいました。その時、「ここでリンゴを作ることができたら面白いな」と思いましたね。震災の前から、年を重ねても負担の少ないリンゴ作りができるような剪定方法や品質の高め方を実験していたのですが、結果が出る年に原発事故が起こって…。途中でそうなってしまったので、違う土地でもう一度試したいと思いました。しかし、その時は福島での仕事もありましたし、いろいろな調査もしていたのですぐにという訳には行きませんでした。でも、移住するという気持ちは半分くらい固まっていました。震災の年に父を、翌年に母を亡くして夫婦二人になっていたというのも大きいですね。

喜美子さん:私の親もちょうどその頃に亡くして。親の具合が悪い時だったら離れられないけど、二人だったから「今だよ」って動けたんですよね。まだ体が元気なうちに。

正典さん:2015年の6月、移住の意思を固めるため、もう一度福岡に来ました。その時、知人が「川崎町観光リンゴ園」に連れて行ってくれたんです。なんと町長にまでアポを取ってくれていて。一緒に訪れてリンゴ園を見たのですが、手入れがあまり行き届いていない様子で…。何十年もリンゴ栽培に携わってきた私の経験を生かせるのではないかと思い、町長に「ここをなんとかさせてください」と頼みました。その日のうちに空き家を紹介してくれたり、いろいろよくしてくれました。そこで川崎町への移住を決め、もう一度9月に家を探しに来て、10月に移住しました。

喜美子さん:私は震災があるまで九州には一度も来たことがなかったんですが、以前、両親が旅行に来ていて「九州はいいところだよ」と言っていた言葉が頭に残っていました。きっと不思議なご縁があるんですね。東京に住んでいる息子も、私たちの置かれていた状況をわかっていたので賛成してくれました。きっと、ずっと心配をかけていたんだと思います。

●川崎町観光リンゴ園
http://www.town-kawasaki.com/kawasaki/218.htm

「渡邉さんのリンゴが食べたい」。そう言ってくれるお客さんに、ここからもリンゴを届けたい。(正典さん)

Q. 現在の仕事を教えてください。

正典さん:今年の1月から町の臨時職員として採用され、町営の「川崎町観光リンゴ園」の管理を任されています。環境が違うからリンゴ作りは大変じゃないかと心配されますが、リンゴ園がある場所は標高400mで、福島よりも平均気温が低いくらい。雪も降るし、環境としてはあまり変わらないんですよね。福島も盆地なので夏はかなり暑いですし。今年の1月から剪定を行い、夏には「つがる」を収穫しました。早い時期から甘くて糖度も高かったですよ。福島や青森のリンゴ仲間にそう話したらびっくりしていました。10月には福岡市の天神で「筑豊フェア」というイベントが開かれたのですが、川崎町はリンゴのブースを作り、アップルパイをふるまいました。リンゴ園の話をしたら来場したお客さんがすごく熱心に聞いてくれましたね。
「渡邉さんのリンゴが食べたい」って今でも言ってくれる昔からのお客さんがいるんです。その方たちに九州からおいしいリンゴを届けたい。以前は福島から九州にもたくさん送っていたんですよ。だから、今度は川崎町から福島に送りたいですね。リンゴは去年の手入れの成果が今年出るものです。来年、再来年ともっとおいしくなりますよ。

リンゴ園で作業を行う正典さん
リンゴ園で作業を行う正典さん。もうすぐ「ふじ」の収穫時期です。
大きな実を付けるリンゴの木
大きな実を付けるリンゴの木。みずみずしく、甘いリンゴでした。

毎日感じていたストレスがここにはない。移住してずいぶんと気持ちが楽になりました。(喜美子さん)

インタビューを受ける喜美子さん

Q. 移住したことでどんなことが一番変わりましたか。

喜美子さん:放射能のことを考えるというストレスがなくなりました。タケノコやフキノトウ、そういう旬のものを見ても摘むことができない寂しさ。それまでできていた生活ができない辛さ。そういうことを考えなくてよくなっただけでずいぶんと気持ちが楽になりました。

正典さん:震災後ってなんだか町内会とかの繋がりが希薄になっていて。みんないろいろなストレスを抱えているのでちょっとしたことでも衝突してしまうんですよ。そういうことから離れられたのも…周りの人は裏切ったと思っているかもしれませんが、正直ほっとしています。

移住したからと言って、故郷と縁を切った訳じゃない。これから福岡と福島を繋いでいきたいです。(正典さん)

Q. 川崎町の印象はいかがですか。

喜美子さん:皆さん面倒見がとてもいいと感じています。引っ越しの時から、ご近所の方たちが玄関先に来てくださって…。今もおすそ分けをいただいたり。そういう風に気にかけてくれるのがすごくうれしくて、いいなと思いました。

正典さん:周りの方たちも、最初から受け入れてくれて。私も農業関係の後継者仲間に入って、いろいろやっています。30~50代までバラエティに富んでいますよ。リンゴは私だけですが、ほかの果物の方や、畑と田んぼをやっている人とか。農業関係の方たちと交流をもてているのがうれしいですね。

喜美子さん:地元の方たちは「何もない」と言われますが、いいところがたくさんありますよ。東北とは景色が違って新鮮です。山の形一つとっても違うし。それと、東北はどこに行くにも距離があって移動時間がかかったのですが、ここはコンパクトにまとまっているので出かけやすいですね。

正典さん:私は、直売所「De・愛」の近くの川の風景が好きですね。仕事が終わった後に眺めに行ったりしています。ほかにも、雪舟の庭園「魚楽園」も風情がありますし、リンゴ園の近くの展望台から眺める風景もいいですよ。

正典さんお気に入りの川の風景
正典さんお気に入りの川の風景。自転車に乗って眺めに来るそうです。
>藤江氏魚楽園
室町時代の画家・僧侶である雪舟が自然の山を活かして築庭したと伝わる「藤江氏魚楽園」。

●藤江氏魚楽園
http://gyorakuen.jp/

インタビューを受ける正典さん

Q. これから川崎町でどう暮らしていきたいですか。

正典さん:ここで人生を全うするかどうかはまだわかりません。でも、かなりの年数はここに暮らすだろうと思っています。仕事関係でも責任のあることを任せられています。リンゴだけじゃなく農業関連でこれから始まることもいろいろありますから。よそから来ているので目新しいのかな(笑)、いろいろな話をもちかけられてうれしいです。それと、こちらに来て新しい品種のリンゴの苗木を植えているのでその成長や収穫も楽しみですね。

喜美子さん:福島にいたらできなかったことですよね。"新しく植える"という感覚がもてなくなっていたから。

正典さん:来年の夏は、福島の子どもたちを川崎町に招いてキャンプをしたいと考えています。震災後、川遊びとかができなくなっているので、ここで体験させてあげたい。そういった取り組みも自治体やボランティア団体と一緒にやっています。福岡に来たからといって福島・東北と縁を切った訳じゃない、これからも繋がっていきたいと思っています。

移住には覚悟も必要です。自分の目で見て、地元の人と土地に触れ、決めるのが一番だと思います。(正典さん)

インタビューを受ける喜美子さん

Q. 移住を考えている方にメッセージをお願いします。

正典さん:田舎暮らしに関心がある人はたくさんいると思います。まずは、じっくりその土地を見てみるといいのではないかと思います。1度ではなく2度、3度と。TVや雑誌などが紹介していることを鵜呑みにするのではなく、自分の目で判断して欲しいと思います。いろいろな人に会って、土地と触れ合って、本当に移住したいかどうか判断していくのが一番だと思います。

喜美子さん:やっぱり大変なこともありますよ。東北と九州では文化も違うし。でもそれは自分たちで覚悟して来たことだからどうにかなります。どんなことが大変って?大変大変って言っているうちに忘れちゃうものですよ(笑)。でも思いつきでは住めないので、それなりの覚悟は必要だと思います。

※当インタビューは、2016年10月12日に行われたものです。

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