Uターン
- Profile
- 眞山さんご夫妻(40代、30代)
- Data
- 3人のお子さんと5人暮らし。自然の中での生活に憧れていた昌さんが、愛子さんに移住を提案。念願だった九州への異動が決まり、15年春に岡垣町での生活を始めた。
- Work
- 会社員(昌さん)。主婦(愛子さん)
Q. 移住のきっかけを教えてください。
昌さん:子どもの頃、長野県のある村に1年間ホームステイしていたんです。そのときに、田んぼを駆け回り四季折々の自然に触れていたという原体験があるからか、自然への憧れが強かったんですよ。妻の地元の鞍手町(岡垣町近隣)に帰省したときは毎回、こんな自然豊かなところで暮らせたらいいなと思っていました。東京では、親戚のマンションを格安で借りていたので、ずっと住み続けるわけにはいきませんでした。かといって、東京都心近くで家を買うとなるととても費用が高くつくし・・・。これはもう、移住しかないなと。
愛子さん:でも私は、福岡に戻りたいという気持ちはまったくありませんでした。ダイレクトに言うと、嫌でした(笑)。結婚して子どもが生まれてという新しい生活が東京から始まったし、田舎にはない目新しさもたくさんあったんです。何より、そこで出会えた人たちがすごく素敵で、良い刺激がたくさんありとても楽しかったので、その縁から離れたくなかったんです。
昌さん:とはいえ、妻がスーパーなど日常的に出かけるには、1台の自転車に3人の子どもを乗せて、両ハンドルに買い物袋をかけた状態だったんです。本人は「大丈夫」とは言っていましたが、さすがにこの生活を続けるわけにはいかないなと。それで意を決して、会社に福岡への転勤希望を出しました。
愛子さん:最初は子どもが小さいから、両親のいる鞍手で物件を探していました。でも友達から、医療費など補助金制度のことも考慮したほうがいいとアドバイスされたんです。それで鞍手町、宗像市、岡垣町の3エリアに絞って調べ直したら、岡垣が私たちの条件に一番合っていました。1年間、移住者向けに岡垣の特産品が2か月に一度もらえるウェルカムキャンペーンというサービスもすごく嬉しかったです。ビワとかブドウとか、かなり盛りだくさんの内容なんですよ。
昌さん:インターネットで移住者向けのサービスや街の様子などを比較してみると、岡垣が群を抜いてよかったんですよ。中古物件を購入すると補助金が出るし、リフォーム費用の援助もある。固定資産税も3年間補助されるんですよ。それに岡垣は街の雰囲気が洗練されていて、一軒一軒が広くて、東京でいうと田園調布みたいな感じ。少し行けば海も山も川もあるし、ショッピングセンターやホームセンターも近所の範囲にあるんです。最寄りの駅には快速も止まるので、福岡市内への通勤もスムーズ。これはもう、東京より便利じゃないかと。それで妻の実家に帰省したときに、インターネットで目星をつけた物件を見に行ったんです。そして「もしも転勤が決まったら」という条件付きで契約の手続きを進めていったのですが、肝心の辞令がなかなかおりなくて・・・。帰宅する上司を追いかけて「すいません! 異動の件、まだ決まらないですか~!?」って直訴しました(笑)。
愛子さん:辞令がおりたときは、すぐに連絡してきたもんね。
※移住者向けのサービスや補助金制度は、インタビュー時の情報です。
Q. 移住するにあたり、準備しておいてよかったことは?
昌さん:いつ辞令がおりてもいいように、きちんと準備をしておきました。会社に転勤の希望を出す1年前から両親には移住のことを伝えていたし、娘を通わせる予定の幼稚園や小学校は事前に見学。仕事面でも、いきなり福岡で不慣れな業務だと大変だと思ったので、部署を異動してもらって新しい業務を覚えました。辞令がおりたのが3月の2週目くらいで、4月には引っ越しをしないといけなかったのでかなり忙しかったのですが、慌てることはありませんでした。
愛子さん:ただ、辞令がおりなかったときのプランはまったく考えていませんでしたけどね(笑)。情報収集は、主人がインターネットを活用、私がこちらの友達に話を聞くというふうに、役割を分担して行いました。現地に住んでいる人たちの口コミは、私が思いつかなかった地域ごとの違いが見えてとても参考になりました。
Q. 岡垣での生活はいかがですか?
愛子さん:評判のいい小児科や児童館などの公共施設が充実し、コンパクトにまとまっているから行動しやすいです。東京でもほぼ毎日、お友だちとのランチや公園遊び、お家に集まったり、子どもの習い事、イベント・・・と盛んに出かけていましたが、自転車に子どもたちと荷物を乗せて行って帰っては、帰宅してからぐったりでした。晩ご飯を作るのもままならないこともあったり・・・(笑)。"たまに"主人の両親に車を借りて遠出をし、自然に触れに行っていましたが、今ではマイカー生活のおかげで、その"たまに"が毎週になっているんです。出かけた帰りに「天気がいいから夕日を見に行こうよ!」というふうに、思いつきで遊びに行けるなんて東京の頃は考えられませんでした。主人なんか、まるで少年みたいに喜んで満喫していますよ(笑)。
昌さん:毎週末のように家族と海や山、川に出かけては、誰よりも自分が喜んで遊んでいます(笑)。子どもの頃の魂が呼び起こされた感じですね。よく行くのは、波津(はつ)海岸。海辺に岡垣町観光ステーション北斗七星という施設が新築されて、温水シャワーや飲食コーナー、さらに自転車の貸し出しもあります。潮風を浴びながらサイクリングしていると、すごく気持ちいいんですよね。また、成田山不動寺から眺める景色も心が洗われます。海岸や街並みを一望できるし、春は桜が美しいんですよ。ほかには、高倉神社もおすすめです。秋のお祭りでは奉納相撲や歌謡ショーなど映画のセットの中にいるみたいでした。東京にいた頃よりも、家族といろんなところに出かける時間が増えましたね。東京近郊で同じような環境に住もうとすると、物価や住居費のハードルが相当高くなるので、本当に穴場だと思います。
愛子さん:近所にホタルを見に行ったり、波津海岸で地引網体験をしたり、近所の三里松原海岸でウミガメの赤ちゃんの巣立ちを見たり。二女の幼稚園では、二女と三女がイモ掘りやミカン狩りをして、お姉ちゃんが「私もこっちの幼稚園がよかったよ~」とうらやましがったりも(笑)。東京ではなかなか難しい、自然や季節を日常的に体感できる貴重な体験が子どもたちのなかに蓄積されているのは、すごくいいことだと思います。子どもたちのことを考えたら、移住は大正解でした。
Q. お子さんたちに変化はありましたか?
愛子さん:3人とも活発なのですが、東京ではマンションだったので夕方以降は「お願いだから家の中を走り回らないで!」と叱るしかなかったんです。部屋で自由に遊びたいのを我慢させていたからストレスがたまり、激しいケンカが絶えなかったのも無理ありませんよね。でも今は一軒家でお庭もあるので、庭の砂場やブランコで遊んだり、お庭と家の中を行き来したりと自由に遊ばせられます。私も「静かにしなさい!」って怒ることがなくなったし、激しいケンカもなくなりました。子どもたちにとって、気持ちの発散場所がたくさんできたんだと思います。実は、東京の両親は最後まで移住を反対していたんです。何もないという印象を持っていたようで、「そんな場所に子どもたちを連れていくのはどうなの?」と。でも、私たちの日常のことを電話で話したり、娘たちの話を聞いたりして「東京ではできないことを体験させてあげられるんだね。そういう人生の楽しみ方もあるんだね」と言ってくれるようになりました。
Q. 今後、岡垣でやってみたいことはありますか?
愛子さん:生活が落ち着いてきたので、小学校や幼稚園のお手伝い役などをやってみてもいいかもしれません。幼稚園に顔を出す機会が増えるものだから、二番目の子から「お母さんも役員をやってよ~」って頼まれるんです(笑)。東京では出ごとが増えると子どもたちを連れての移動が大変だったのでとても考えられませんでしたが、こちらでは前向きに考えてあげられます。また、一番下の子が来春入園したら、友達と一緒にゆっくり買い物したり、やりたいことを見つけたりと、自分のために時間を使いたいですね。中学時代の同級生が意外と周辺に住んでいて、再び交流が生まれてきているのは思ってなかったことで嬉しいです。
昌さん:サーフィンや釣りなどやりたいことがたくさんあるのですが、この周辺の自然の中での遊びを最大限に満喫したいです。いずれは田植えを手伝ったり、地元の方々との交流を深めたりもしたいですね。また、岡垣には意外と史跡が多いので、歴史も学んでみたいです。
Q. これから福岡県に移住を考えている方へメッセージをお願いします。
昌さん:福岡は本当におすすめです。博多周辺は東京以上に洗練されていて、道が広く空港にも近いし、天神は新宿や渋谷以上に機能的。その一方でひと駅ふた駅離れると、のどかな風景が広がり、さらに岡垣まで来ると素敵な住環境があります。岡垣から僕の職場がある博多までは、快速電車で1時間くらい。福岡市内の方には「1時間も!?」と驚かれますが、電車では座っていられるので田園風景をのんびり眺めたり、仕事をしたりしています。東京では満員電車にぎゅうぎゅう詰めの1時間だったので大違いです。福岡に移住して、お金では買えないかけがえのない生活が手に入りました。
※当インタビューは、2015年10月24日に行われたものです。
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