ボタ山に月が出た—昭和遺産の町・田川とその周辺を訪ねる—

~来てみらんばい、筑豊のど真ん中へ~

田川市 居住体験

お百姓さんになる!ー若き夫婦の挑戦ー

カテゴリ:仕事 更新日:2015.12.15

というわけで、前記の「みのり号」を取材でも多くの実りがあった。その中で筆頭が阪本農園を営む、阪本勇気・摩紀さん夫妻との出会いだ。
長年ジャーナリスト稼業をしていると、けっこう鼻が利くようになるもので、香春駅でのこじんまりしたイベントをざっと眺めてすぐ、そのブースからオーラが放たれているのが感じられた。むろん、パンプキン・スープのいかにもおいしげな香りもだが…w。

100円を払って実食すれば、直感が確信に変わる。訊けば、最近になって農場を始めたばかりという。摩紀さんのおじいさんが亡くなり、10数年放置されていた畑にカボチャを植え、その収穫をプリンにし、道の駅などで売っているのだとか。日を改め、ぼくは農園を訪ねることにした。

そこは採銅所駅に近い、里山に囲まれたエリアで、一帯でも大きな屋敷の奥に案内されると、小さなプレハブの作業所で摩紀さんはかぼちゃプリンをまさに製造中。勇気さんは冷凍庫に保存された、目にも鮮やかなオレンジ色の素材ペーストを取り出し、その行程について解説してくれる。
「これはもう収穫を終え、この状態のしかないんですが、煮たり焼いたりする普通のカボチャとは違い、こうした製品用の品種です」
示された写真を見ると、ハロウィンのランタンに用いられるような皮までオレンジのタイプ。きめ細やかで加工することによって味が増すのだそうだ。また、瞬間ブリーザーを使うので、この色や新鮮な香りも閉じ込められる。

勇気さんは高卒後、北九州市のニチレイの工場に勤め、冷凍食品のノウハウを持っている。管理部門に転じて以降、激務で体調を崩し、もともと起業を考えていたこともあり、摩紀さんの実家の農地の活用と自身の技術を結びつける、いわば農家として成り立つためのスターターとしての製品作りを思いついたのだという。
「高校時代の親友が香春の洋菓子店『ブッシュ』をお父さんと一緒に経営していて、レシピを無償で提供してくれました。本来、マージンを払わなければならないんだけど、それも『要らん』と応援してくれ、ずいぶん助かっています。このペーストはそちらの商品にも使ってもらっています」

勇気さんはそれまで農業を学んだことはない。実家も元を辿れば農家なのだそうだが、長いこと離農しているという。だからか、野菜作りへの興味もあり、また、第一次産業が中心の田川郡域で起業する以上、それが現実的と判断したようだ。そして、本格的には今年から生産を始めた。去年は夜勤との掛け持ちだったが、農水省が促進する「青年等就農資金」を申請し、それが下りたのである。
現在はカボチャを2種、他に夏場はサニーレタスなどを作っている。

勇気さんと摩紀さんは幼なじみ同士で、それぞれの家も近いが、成人式をきっかけに交流が生まれ、やがてつき合うようになったとか。4年前に結婚し、現在まだ29歳と28歳。こうしたアラサーの故郷への想いと行動力が田川を変えていくはずだ。それがもっと“見える化”してこないと、一時滞在するのみのぼくでも考える。だが正直、草の根レベルでしかそれがつかめぬジレンマには度々陥った。

ともあれ、早速プリンをいただく。これがまぁ、まろやかな舌触りでおおよそのプリンの概念をぶち壊す代物。甘みは控えめで香料も使っていないから、じわじわとカボチャの旨さが味蕾に染みてくる感じだ。生クリームとのマッチングはあのスープの味わいにも近い。イベント時には一度に100個生産する時もあるが、普段は「道の駅 香春」に毎日6個下ろしているのみ。ただ、直接買いに来る人もいるそうだ。

就農に意欲を燃やす人はぜひ彼らをロールモデルにすべきだろう。周囲には休耕地が多く、「ウチの畑もやって」と声をかけられることも多い勇気さんだが、今は農作業の後の製品作りでとても手が回らない。田畑は遊べば遊ぶだけ荒れる。東京オリンピックに向け、インバウンド対応での観光立国も重要課題だが、やはり農業の再建こそ“成熟国家”日本の生きる道なのではなかろうか。

観光列車を追いかけて

カテゴリ:その他 更新日:2015.12.13

少し遡って、田川に着任直後の先月の連休初日の21日。ぼくは毎年恒例という、日田彦山線での特別列車「みのり号」を取材した。門司港駅を出発し、歓遊舎ひこさん駅まで運行して折り返す、いわゆる観光団体列車だ。
http://railf.jp/news/2015/11/22/205500.html
軽い鉄ちゃん(鉄道オタク)なのだが、もっぱら乗るのが好きなだけで、詳しいことはまるでわからないぼく。日田彦山線は非電化のディーゼル区間だとだけは聞いていた。調べると、例年はJR九州色のキハ47が使用されることが多いみのり号だが、今回は長崎地区で活躍中の国鉄色「キハ66・67」が登場し、ファンを喜ばせたという。
この情報をもたらしてくれたのも、先述の「食人市」で知り合った方。市の当局者には何も聞かされておらず、タイムテーブルも“呑みの市”で田蔵の女将さんにもらった。ともあれ、田川市並びに郡域である程度長く停車するのは採銅所駅、香春駅、田川伊田駅のみ。全線単線区間である日田彦山線の通常列車の運行の都合上、それらの駅で乗客を降ろし、列車は待避(あるいは待機)したわけだが、歓待のイベントが各駅で行われる様子を記事にしようと思ったのだ。

それが公開までだいぶ間が空いてしまい、ブログの即時性にもとるのはご容赦願いたい。が、鉄道を追いかけ、車を走らすという、まるで映画の一場面のような時間となり、大変慌ただしかった一日として記憶に強く残っているので、あらためて記しておく。

これにかこつけ、採銅所駅では駅舎開業100周年の盛大なイベントを開催。同駅は旧小倉鉄道が開通した1915年4月1日に開業している。かつては石炭や石灰石の産出でにぎわった沿線だったが、60年代以降は閉山が相次ぎ鉄道輸送も激減し、ついには無人化。その寄せ棟造りの平屋建て洋風木造駅舎も一時、老朽化のため解体が検討された。
が、地域住民の間で保存運動が起き、JR九州から無償で譲り受けた香春町が2011年2月に文化財に指定。修復工事を実施し、その後は同町の観光スポットともなり、映画の撮影にも使われたとか。外壁の装飾や待合室天井の星形文様などに大正期の建築の遺風が漂う駅舎に乗客のみならず、訪れた観光客もしげしげと見入っていた。本当はひっそりと訪れ、その風情を味わいたかったが、こうした“枯れ木も山のにぎわい”もまた悪くない。
ちなみにこの言葉、本来の意味から逸れて、以下のような解釈をされるようになっている。むろん、ぼくは後者の意味で使っている(笑)。
http://prmagazine.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2011_11/series_08/series_08.html

同駅での停車時間は70分ほど。参加ブースも20を超えていたろうか。田川にルーツを持つラーメンの「山小屋」も出店していた。そこで購入したレモンとシークワーサーは大変香りがよく、焼酎に加えて飲むと格別だった。また、近隣で評判の「そば処 竹庵」が屋台を出しており、大勢が行列を成していた。
ぼくも食券を買って食べてみたが、甘い蕎麦の旨味が食んだ途端に口中に弾け、なかなかオツだった。どうやら同店は日頃、完全予約制らしい。そのこだわりぶりは田川広域観光協会のサイトでも紹介されているのでどうかご覧あれ。

そこで展開された町を挙げての祝典の様子も大変微笑ましかった。多くの町民が歌や踊りを披露し、プロの演歌歌手のステージもあった。が、中で印象的だったのが採銅所小学校全生徒によるコーラス。それを感慨深げに見守っていた中学生のグループがいて、聞けば同校出身者だという。それを感慨深げに見守っていた中学生のグループがいて、聞けば同校出身者だという。現在の生徒数は80名を割り、彼らの在籍時に比べてもかなり減ったとか。ここにも過疎の現実が反映されている。

所変わって、香春駅でのイベントは停車時間も20分と短めなので、ぐっとこじんまり。しかし、よりアットホームな雰囲気で落ち着けた。大分の天領・日田からも観光協会が参加し、名物の焼きそばを作り方を説明しながら販売していた。また、ミニSLの線路が敷かれ、子どもも大人も大はしゃぎで乗っているのを見るのも楽しかった。お祭り好きの九州人の中でも、筑豊人はことにその様子だ。

そして、ここでも大切な出会いがあった。自家製のカボチャスープを売っていた阪本農園さんだ。その若き夫婦の希望に燃えるエピソードを次回、しっかりとお伝えしたい。

光りあるうち光の中を歩め

カテゴリ:気づき 更新日:2015.12.11

昨日立て続けにかいたこの記事がフォーマットの不調で飛んでしまった。こういうことはよくあるーと言いたいところだが、それもだいぶ昔の話。最近のMacは滅多にフリーズしないし、ワープロソフトはどれも原稿を自動保存するので、大きな犠牲は被らない。
呆然とするうちに九州中を嵐が襲った。12月の台風。まるで映画のタイトルみたいだ。そして、作家の野坂昭如が亡くなったーとの報道。家にあった文庫版の『火垂るの墓・アメリカひじき』を中学時代に読み、背伸びして『エロ事師たち』など代表作を次々に読破した。当時、その擬古文体の影響をもろに受け、ぼくは大学時代に専攻もした江戸文学に開眼していく。野坂さんはとにかくよくテレビに出ていたので、子ども時分はタレントだと思っていた。が、それは持ち前のサービス精神の賜物。自由奔放でありながら、努めてストイックな面をいくつかの小説から感じた。思えば、ぼくに物書きの指針を示してくれた人だ。

プロなので失せてしまった記事を一字一句とは言わないが、ある程度性格に再現することはできる。が、それがイマイチだったからこういう結果になるのだーと自分に言い聞かせる。それにしても、ぼくはこんな風によく道に迷う。登山が趣味だし、ドライブも嫌いではないから読図能力はあると過信し、ズンズンと先へ進んでは結果、迷路の奥のほうに入り込んでしまう。そんな経験を田川でもした。

そう、ぼくは戸谷ケ岳という、標高702mの田川郡添田町、川崎町、嘉穂郡嘉穂町の境界の山にこちらに着いてほどなくして登った。山道にはその前の週末に川崎町主催のツアーもあったようで、しっかり足跡がついていた。正直、杉の植林帯がほとんどで視界は悪いが、急勾配が続き、登り出はある山だ。
本当は朝のうちから同じ田川郡でも福智町にある名山・英彦山に登ろうと思っていたのだが、雑務が溜まってそうもいかず、午後2時くらいからのスタート。だから軽い足慣らしのつもりで入った。そして、ガイドブックに確か3時間とある行程を40分ほどで登って下りてきた。
折からの雨で泥濘って滑る道をぐいぐいと駆け上がるのはちょっとした興奮。山頂まで出れば、期待通りの景観が広がった。

そこまではよかったのだ。時間は午後4時にはなっていたが、その近くに荒曾山という484mのさらに低山があり、川崎町ではパンフレットも作っている。山頂まで30分ほどだから、その往復だけでもできそうだー。
と欲をかいたのがいけなかった。以下の記録にもあるよう、登山口すら不明瞭なのに、あわよくば2時間ほどの周遊コースを一気に1時間ほどで駆け巡るイメージが沸いた。そして、ぼくはとりあえず高見を目指せば道にも出られると踏んで、藪漕ぎを始めてしまった。そして、その頂に立って愕然とした、三角点は付いてはいるがまったくの名もなき逆方向に立つ山。
顧みれば、戸谷ケ岳でも仕事道の木々に巻かれた道標のテープに導かれ、少し上のポイントから下りていた。かなりの急坂で、だからよけい早くに下りてこられたとも言えるが、低山にはこの種のリスクが多い。
途中、足下にはキラリと光る鉱石が…。この一帯も以前は鉱山があったという。それがなんらかの示唆だと気づいたのは後々だ。

時すでに日没。来た方角から下るのが筋だが、まだうっすら明るいので、すでに狂い出している方向感覚だけを頼りに、また先へと進んでしまったのが、延々4時間に及ぶ迷走の皮切りだった。
ヘッドライトは持っていたし、道さえわかれば歩けるーというのも、よくよく思い上がった話で、スマホのGPSもつながる場所とそうでない場所がある。月夜だったのがせめてもの救いで、何度も泥濘に足を取られ、素手だったので茨に傷めつけられた。
結局は元いた頂きに戻ると、GPSが最もしっかり機能し、自分と沢と車道の位置がつかめたので、一気に駆け下り、そこからは道も見えた。そして、それがさらにはっきりわかる高みにいっぺん上がって、コースを再確認し、また沢を徒渉し、アプローチに辿り着いた。

自分も傷だらけだったが、おニューのトレッキングシューズのお試しという目的もあったのに、もう使い物にならないかと思えるほど泥まみれ。なにより気がかりだったのが、転んで泥が詰まったiPhone(これがいよいよ無事下山という直前にバッテリーが事切れた)の充電口で、案の定、携帯充電器と接続しても、ジャリッと音がしてカチッとケーブルが入らない。
ともかく泥を完全に除去せねばならない。ぼく自身、まだその時間でも空いている温泉で汚れを洗い落とし、疲れを癒したかったが、そんなことは後回しだ。なぜならWi-Fi環境にない中、iPhoneこそがライフラインという生活を強いられているからだ。
どうすればいいか考えながら、車を市街へ走らせると、最初に目についたコンビニがあった。ベストマート? 聞いたことがないな。ローカルチェーンなのだろうか…。

店内を見渡すと、いやー、いろいろ変わった商品を置いています。地元密着の乳酸飲料「ヨーグルッペ」とかね。九州に来て、ここで初めて見た。それくらい大手コンビニの商品は画一化されているわけだ。ナショナルブランド以外は自社のプライベートブランドで占められており、こうした伝統的な商品の入り込む隙もなくなる。若者はその味を知らず育ち、やがて育った土地すら見捨てる。
ベストマートは九州北部一帯に8店舗を擁する独立系チェーンで、そのうちの1軒がこの「ベストマートこがや」だった。ここでぼくはアルバイト店員2名に大いに助けられた。iPhoneのピンチを伝え、復旧作業に必要な物はなにか尋ねると、一人がITに明るいらしく、充電口を覗き込み「まだだいぶ詰まってますね」といろいろアドバイスをしてくれた。

そこでぼくはちょっと乱暴だが、楊枝をもらって泥を掘り出すことに。ティッシュとアルコールも借りて、極細の即席綿棒を作って悪戦苦闘を店の片隅で約30分繰り広げた。ドリップコーヒーを買ったが、さぞや迷惑だったろう。
そして、ようやく除去完了、通電再開。大げさでなく、青函トンネル貫通という気分だった。お礼に南日本酪農の「生乳たっぷりバナナ」、馬郡蒲鉾の「ミンチ天」など九州独自の商品も購入。家に戻って、しみじみと味わった。

にしてもだ。トルストイの短編の題ではないが、登山の鉄則は『光りあるうち光の中を歩め』。この時ほど身に沁みたことはない。そしてまた、人の情けも…。ただ、ぼくが時に迷妄の闇に紛れ込むのも、その明るさを感じたいからなのかもしれないーとも思った。

スペシャリティ・コーヒーが楽しめる憩いスポット

カテゴリ:交流 更新日:2015.12.10

田川市の人口は現在4万7800人。最盛期の半分を割っている。
かつての炭坑を挟んだ主要駅、田川伊田と田川後藤寺のアーケード街は寂れきっており、それを「昭和遺産」と呼ぶのも気の毒なくらいだ。若者をあまり町で見かけないーとは先日も書いた。集う場もそうないのだ。
個人的にはいかにも女子向けな、雰囲気重視のカフェなどにさほど魅力も感じないから、妙にサバサバするが、みんないったいどこでデートするんだろう?ーなどとも思う。
中高時代から相手もいないのにデートコースを練る。それがバブル世代男子の基本。いや、ずっと都会暮らしだと、そんなことばかり考える習性が身に付く。自然散策も悪くはない。が、喫茶店もないのは困るなぁ…(実際、モーニングでも食べようと出かけたら、両駅前ともになかった)。

ないない尽くしで市民のみなさんには申し訳ない。でも、事実だから仕方がない。実際聞けば、若い人たちは隣の市の飯塚まで出かけるという。
が、考えてみたら、ぼくだって地元の西東京でデートはしなかった。吉祥寺か新宿、池袋に出たものだ。でも、元中学の同級生なんかと、何気ない感じで会うとか集まる場はファストフード以外にもあった気がする。そして、どこの町に行っても、実際は立ち寄らずとも、そんな場を見つけてはほくそ笑むのだ。青春プレイバック!
田川滞在も後半にさしかかり、ぼくはようやくそんな場所を見つけた。それが鎮西団地内の小さな商店街にある「バードコーヒー」。手作り感あふれる内装から店主の柔らかな個性がにじみ出ている。

むろん、店内に一歩足を踏み入れれば、かぐわしい珈琲の香りが出迎える。しかも、この店は今、注目を集めている“スペシャリティ・コーヒー”の専門店なのだ。その定義は以下に詳しいが、要は産地が明瞭で有機栽培によって作られた豆をその特性を上手く引き出すよう、丁寧に焙煎し挽いて淹れたコーヒー。
http://www.scaj.org/about/specialty-coffee
ちょうどぼくはその成立を描いた『A Film About Coffee ア・フィルム・アバウト・コーヒー』というドキュメンタリー映画を試写で観たばかり。60分弱の短い尺数で世界のあちこちで本物のコーヒーを求める人間模様が要領よくまとめられ、なによりコーヒーが飲みたくなる作品だった。

店主の福島基さんとは実は先述の「田蔵」での立ち呑み市で出会っており、そんなこだわり抜いたコーヒーが田川で飲めるとはーと素直な感想を漏らした。すると、純朴を絵に描いたような福島さんは、「まずぼくが好きになってしまったんですね」とはにかみながら語った。

「長く老舗の金物商で働いていて、待遇も悪くなかったんですが、ずっと起業を考えていたところ、直方の『このみ珈琲工房』に入り、偶然出会ったのがスペシャリティ・コーヒーでした。正直さほどコーヒー好きでもなかったんですが、扉の前からすごい華やかな香りが漂っていて…一気にのぼせちゃったんです」
直方は通り過ぎただけで訪ねてはいないが、田川以上に寂れていると聞く。そこで孤軍奮闘するこのみ…のマスターは究極のアロマを求め、世界中の産地を飛び回っているのだそうだ。

福島さんは早速、お薦めの“ニカラグア ロット402”というコーヒーを点ててくれる。ぼくは濃くローストしたコーヒーがどちらかといえば好みだったが、カップに注がれた液体は思いがけず淡い色をしている。が、その琥珀色のコーヒーは滑らかでどこか甘いような余韻を残す。ゴクゴクと飲めてしまった。甘露という表現が脳裏に浮かんだ。

こうしたコーヒーを安価に飲めることにもだが、福島さんの温かい人柄が醸す、この空間に立ち所に虜となった。また、「好きを仕事にする」ことの大切さ。それをぼくは福島さんから再確認させてもらった気がする。

バードコーヒーは今年開店から5年目を迎えた。なんとか順調に経営してこれたのも、奥さんの優子さんの内助の功以上の貢献があったからだ。開店当初、幼子を抱えた優子さんは専業主婦。しかし、接客業の経験が抱負だっただめ、カフェの経営に抵抗はなかったという。店のもう一つの看板のマフィンは彼女の手作り。
「どうやったら売れるか、継続していけるか、ずっと不安でした。試行錯誤を繰り返し、オープン前から毎日焼いていました」
その結果、これまで店で出した数も40種。同店はFacebook等のSNSで発信をしているが、そこで毎日、その日出すメニューも確認できる。そして、取り置き願いの電話がよくかかってくるのだとか。

福島さんはこうも話した。
「生意気なようだけど、お客さんを育て、また育ててもらう。商売ってそんなもんかと思うんです。ここでいろんな提案をして、様々なコーヒーを味わってもらい、自分の好みを見つけて、さらに広げてもらう。だからいくつかの地元メディアも取り上げてくれましたが、口コミで評判が広がったーというのが正直なところです」
顧客の開拓と維持。それにはたゆまぬ努力を払い続けねばならない。福島さんは子どもの頃から町のオーケストラの一員でずっとバイオリンを続けてきた音楽好きで、最近はジャズに夢中。バード・コーヒーという店名も天才サックス奏者、チャーリー・パーカーの愛称“Bird”から来ている。立ち呑み市でもジャズ談義に花が咲き、ぼくは今回の訪問を心待ちにしていたのだ。

夫婦で二人三脚。店を持ち、夢を追う。こういう人たちが田川にもいる。とても心強く思うと同時に、この店が自分が実際に住む町にも欲しい!ーとまたないものねだりをしたくなるのだった…。

粋人たちの心の灯火ー酒屋たくらでの晩ー

カテゴリ:交流 更新日:2015.12.05

田川情報を公開するために今も阿蘇の田舎にいる。ドミトリー1泊1500円というゲストハウスの草分けのひとつだが、想像した以上に田舎にある。が、Wi-Fiは自在に使える…。
「情報基地」と呼ばれる場所はだから、なにも都会に限ってあるわけではない。ぼくも田川に着任早々、そんな場がないか、若い人をつかまえて尋ねまくったりしていた。残念ながらそれは自分の得意の飲み屋にはなかったようだ(後述するが、とっておきのカフェはあった)。
が、運のいいことに田川に来て、最初に覗いた店が多くのキーパーソンとぼくを結びつけてくれた。それが酒屋の「味の番頭ー田蔵(たくら)」である。店内はご亭主夫婦の趣味というアンティークの品々で飾られ、なかなかお洒落だ。おまけに品揃えが素晴らしい。

ご当地を含む日本酒、焼酎の選りすぐりと、こだわりのワインがずらっと並んで、もしこの地に住むなら、入り浸りになるだろう予感がした。ま、期間限定滞在だし、田川の情報発信という役回り上、家飲みよりはつい外をうろついていたが…。
もっとも、最初に目についたのはやはり地元産の食料品などで、それらを少し買って、表の看板にあった「呑みの市」というイベントについて尋ねたのだ。
それはボジョレーヌーボ解禁に引っかけ、11月の20日と21日のみ催された、いわばワイン角打ち。初日はそこまで混まなかったので、充分座れたが、ともあれ酒店ならではの低価格で、同店が取り扱う自家製パン(なんでも店を持たず、ここだけの委託販売をしている女性がいるらしい)やチーズ、ソーセージなどをつまみに楽しむ会である。

田川に来て、勝手もわからなかったぼくは両日とも顔を出すことにした。ここには間違いなく、田川でも感度の高い人たちが集まるだろうと思った。その場に居合わせれば、いろんなネタがつかめるだろう。その直感は的中した。
女将のお姉さん夫妻や友人らとアットホームに語らえた初日も忘れがたいが、2日目には案の定、この町でも先端にいる人たちが来たようだ。上記のカフェの店主Fさん、ローカルクリーニング店チェーンの2代目ながら、IT関連の事業に乗り出そうとしているTさん、地元タウン誌でも洗練を誇る「Chikusuki」の編集長Oさんなどなど。朝日新聞の記者氏も来ていた。
いただいたワインもおいしかったが、そうした出会いが嬉しかった。なんでも父母と一緒に店を切り盛りする、娘の愛之さんがチラシを投函した結果なのだとか。

当たり前でないよい酒や食品に絞って店頭に置く。東京など大都市圏なら当たり前のセレクトショップを、特に若者が集まる洒落た飲み屋もない田川で展開する。ハンドリングが難しいようにも思えたが、意外にもいつ様子を覗いても来客はひっきりなしで、贈答のシーズンを迎えるためか、女将さんは注文票を捌くのに必死の様子。
この店のラッピングがまた秀抜ーとは常連客からも聞いたが、そうした気遣いが徐々に大勢に支持されているようだった。以下のブログからもその濃やかなサービスぶりが伝わるだろう。こうしたPR担当の愛之さんも連日、残業の日々らしい。
http://halo-hello.jugem.jp/

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