移住者インタビュー

LIFE STYLE 東峰村

東峰村にいる義務はありません。でも21年も住み続けているということは、ここでの暮らしが楽しく魅力的だから。

移住者DATA

ターン

Profile
柱 雅志さん(51歳)
Data
東京都出身。東京で働いていたが、"農のある暮らし"をしたいと思い、1992年に福岡県浮羽町(現・うきは市)に移住。1995年に宝珠山村(現・東峰村)に引っ越す。妻、長男と共にカフェ「ティールームJune Berry」を営むほか、学習塾経営、カブトムシの養殖も行っている。2016年4月からは、東峰村の移住コーディネーターとしても活動。
Work
東峰村移住コーディネーター、カフェ経営、学習塾経営など

東京生まれの東京育ち。"農のある暮らし"をするために田舎暮らしを決意しました。

インタビューを受ける柱さん

Q. 移住のきっかけを教えてください。

東京都世田谷区に生まれ、学生時代も東京で過ごしました。エンジニアとして会社勤めをしていたのですが、ただお金を稼ぐためだけに働いている気がして、自分の天職とはなかなか思えずにいました。 私としては、都会の生活よりも、自然が豊かな場所で"農のある暮らし"をしたかったんです。食べるものを育て、収穫したり。住む家も自分で作りたいと思っていました。都会では難しいですよね。 別荘を建てるという選択もあると思いますが、私は移住することに決めました。今から24年前、20代後半の頃です。移住先はいろいろなところを探しましたね。移住の雑誌を見たりしましたがメリットばかり書かれているので、 現実は違うのではと思い、1年くらい国内を放浪することに。どうやったら自分の生き方を見つけられるだろうと思って、考える時間がほしいというのもありました。行った先々で建築関係のアルバイトをしたり、 丸太小屋の工房で勉強したり。ゆくゆくは自分で家を建てるつもりだったので、この経験は役立ちました。

Q. 移住先に東峰村を選んだ理由を教えてください。

幼少の頃、実家の近くに下宿していた学生さんが久留米市出身の方でした。私のことをとても可愛がってくださり、それからもずっと縁が続きまして。その方が紹介してくださったのがきっかけで、まずは福岡県の浮羽町(現・うきは市)に住みました。最初に始めたのは今も続けているカブトムシの養殖です。当時はまだ虫ブームではなかったのですが、大量に生産できればビジネスになると考えました。ですので、浮羽の山の方に住み、養殖を始めました。カブトムシの幼虫のエサになるのがシイタケの原木でして、シイタケの一大産地である宝珠山村(現・東峰村)のキノコ組合の組合長さんに原木を譲っていただいていたんです。お世話になっているうちに「こっちに住んだら?」と声をかけてくださって。それを機に宝珠山村への移住を決めました。

苦労したのは住む家を探すこと。21年前、よそから来た私に家を貸してくれる方はなかなか見つかりませんでした。

Q. 移住に際して、苦労したことはありましたか。

家を借りることに一番苦労しました。10数軒空き家があることを知っていたので、大丈夫だろうと思っていたのですが、なかなか貸してもらうことができず…。地元の方からすれば私はよそ者。 新しい人があまりやって来ない平和な場所ですから、そこによくわからない者が来たら警戒心をもつのは当たり前です。ましてや家を貸すなんて、どんなことになるかわからないと思われたんでしょうね。 実際にトラブルもあったらしいですし。まあ、20年前のことですから、今の状況は違うと思いますが。そして、ようやく貸してもらえる家を見つけ、1995年に移住しました。そこに住みながら家を建てる場所を探しました。 借家探しも大変でしたが、土地を探すのもまた大変で。不動産業者は介入しない、個人的な交渉です。結局3年かかって現在の土地を買うことができました。

1997年に柱さんが購入した土地
1997年に柱さんが購入した土地。ここに家を建てて暮らすことになりました。
現在の様子
現在の様子。裏手の杉を切り、雑木を育てることで和やかな風景に。

Q. ご家族の反応はいかがでしたか。

移住した頃は結婚していなかったのですが、結婚の約束をしていました。先に私が福岡に住み、1年くらい経った頃に呼び寄せて結婚しました。山口県出身の妻は東京で働いていたのですが、移住に関して直接反対はしなかったですね。心の中ではどう思っていたかわからないですが、ついて来てくれてよかった。以前とは生活のスタイルが全く違うので、めずらしいことが起きることを楽しんでいたようですよ。そして、四季を感じることができる暮らしに楽しみや喜びを感じていて…。あ、それは私の方が強いかな(笑)。二人ともこちらでの暮らしを楽しんでいます。

柱さん自ら建てた家
基礎部分は大工さんに任せ、そのほかは柱さん自ら家を建てました。
ニワトリ
飼っているニワトリがのんびりと庭を散策中。

用意されることをあてにするのではなく、仕事は自分でつくり出す。移住にはそのくらいの意気込みが必要。

Q. 移住後の仕事に不安はありませんでしたか。

もちろんありました。カブトムシの養殖から始めたのですが、それが軌道に乗るまでは、ほかの仕事もしていました。植木業者さんの手伝いなど、将来、役立ちそうなものを選んでいましたね。 ほかにも、今もしていますが塾の講師として働いたり。現在は、購入した土地に自宅兼カフェを建て、カフェ「ティールームJune Berry」の経営、学習塾の経営、農業をしています。カブトムシの養殖も続けていますよ。そして、 2016年4月からは東峰村の移住コーディネーターとしても働いています。やはり、移住に関して一番気になるのは仕事のことですよね。特に、この村のような地方に用意されている仕事はないと思った方がいいと思います。もしあれば 地元の方が勤めますよね。地元の方もこの場所を離れたいのではなく、仕事を求めてやむを得ず村を出ていっているので。新しい仕事への道は自分で切り拓くという意気込みがないと移住は長続きしないのではないでしょうか。

2002年に「ティールームJune Berry」をオープン
2002年に「ティールームJune Berry」をオープン。金・土・日・月の11:00~日暮れまで営業しています。
>解放感があり、木のぬくもりを感じる店内
解放感があり、木のぬくもりを感じる店内。夜は学習塾になります。
奥様が趣味で集められたアンティーク雑貨
奥様が趣味で集められたアンティーク雑貨を素敵にディスプレイ。
ワッフルボウル
ワッフル生地の器にフルーツやアイスクリームが入ったワッフルボウルは人気のデザート。
移住コーディネーターの様子

Q. 移住コーディネーターとして、どのような活動をしていますか。

移住経験者として、東峰村に移住を考えている方への相談の窓口となっています。平均して週に1組くらいでしょうか、電話で相談がありますね。毎週月曜日は村役場に出向き、担当者に報告をしています。 また、新しく移住して来た方たちも3組ほどいるのですが、その方たちの相談を受け、アドバイスをすることもありますよ。勧誘をする訳ではないのですが、移住したいと思っている方には、両手を広げて待っていたいと思っています。 東峰村は2000人を少し超えるくらいの人口。住人が急激に減ると村の存続にも関わります。減ってしまって合併…では遅いので、今のうちから村が続くための手立てを打つ。その一端を担うことができればと思っています。

地域で子どもを見るという意識がある東峰村。子育てに最高の場所と、自信をもって言えます。

Q. 東峰村のいいところを教えてください。

まず、子育ての環境がすばらしいと思います。子育ての部分に限って考えても、移住してよかったと思えるほどです。小・中一貫教育の公立校「東峰学園」があり、1学年20人いないくらいの規模なのですが、 みんな生き生きとしたいい顔をしているんですよね。教育が一人ひとりに行き届いていることを感じますし、実際に学力調査でもほぼ全ての教科で県や全国の平均を上回っています。人数が少ないからいいということではなく、 もともと地域で子どもを育てるという意識があるので、教育の本質がいいのだと思います。人数が少ないので野球部がなかったり、ということもありますが、そういったことを差し引いても、掛け値なしに素晴らしい 教育を受けられると思います。そして自然の中での遊びなど、私が小さい頃にできなかったことを自分の子どもは体験していたのもうれしいことです。 そして、村役場の決定事項がすぐに始められたり、自分の意見を伝えやすいのもいいところ。都市部ではなかなか難しいかもしれませんが、規模が小さい分、声が届きやすいですね。例えば、10年前、家の裏手に林道ができたんです。 庭から見える斜面の部分をどういう風にしましょうか、という問いかけを村役場からもらいまして。そこで、斜面をコンクリートで固めるのではなく草地にしてもらったんです。さらに桜まで植えてくださって…。 代わりに私が手入れをする約束をしました。そういう個人と行政の距離の近さもいいですね。 また、絵になる景色が多いところも気に入っています。ずっと住んでいると気づかないかもしれませんが素晴らしいところが多いですよ。特に好きなのは電車が通るめがね橋。ここをSLが走るとかっこいいだろうなと思っています。 ほかにも「棚田百選」に選ばれた「竹地区の棚田」の眺めもオススメです。

奈良尾のめがね橋
奈良尾のめがね橋。村内に3つのめがね橋があります。
竹地区の棚田
刈り取り前の稲穂が黄金色に輝く「竹地区の棚田」。

村の風景を守るために、地域の方々と植林。村長さんも参加してくれます。

Q. 地域の方々と一緒に行っていることはありますか?

「植樹の会」という名前で植林活動をしています。これまでに3回ほど大きな植樹を行いました。毎回、村長さんも参加してくれるんですよ。東峰村は「日本で最も美しい村連合」の一員でもあるので、村としての美しい風景を地域の皆さんと守っていきたいですね。自宅の周りも唱歌の「ふるさと」に出てくる、絵に描いたような里山の風景にしたいと思っています。

桜を植樹
「植樹の会」のメンバー
(上)今年の3月に「植樹の会」のメンバーと。中央にはスコップを持つ村長の姿も。
(左)手作業や機械を使って桜を植樹しています。

これからもここに住み続け、「故郷はどこ?」と聞かれたら「東峰村」と答えたい。

米作り
今年から米作りも始めました。収穫が楽しみです。

Q. 移住してよかったと感じるのはどんな時ですか。

暮らしていること自体が楽しく、移住してよかったと日々感じています。"人生は楽しむためにある"というのが私の考え。東峰村にいる義務がない私がなぜ21年もここにいるのかというと、楽しいからです。 自分で家を建て、畑を耕し、稲を育て、生き物を育て、暮らしていく。そんな喜びを感じられる東峰村に、これから先もずっと住んでいきたいと思っています。絶対にとは言えませんが、きっとそうなるでしょう。 「故郷はどこですか?」と聞かれた時、生まれた場所を答えるのが普通だと思うのですが、私は東峰村が故郷だと答えたいと思っています。

移住自体が目的ではなく、叶えたいことをするために移住する。その気持ちが大切です。

笑顔で話す柱さん

Q. 移住を考えている方にメッセージをお願いします。

自分の意思にしぶとい人間であって欲しい、そう思います。正面から戦うだけではなく、かわしながらも自分の目標を守る。移住は大変なこともあります。そんな時、すぐにポキッと折れてしまわないしぶとさが必要です。移住先のすべてに迎合しなくてもいいので、意地をもっている人がのちのち地域をリードする人材になるのでは、と感じています。また、家を作る楽しさや自分で育てた作物の美味しさ、そういったことに楽しみを感じられる人が田舎暮らしに向いているのではないでしょうか。移住自体が目的ではなく、自分の好きなことをするために移住する、そういう気持ちが大切だと思います。

※当インタビューは、2016年9月16日に行われたものです。

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