田川市移住体験ブログ

~田川市に移住してみました~

田川市 居住体験

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田川後藤寺_1

カテゴリ:その他 更新日:2015.12.09

ここは、お隣の田川伊田よりもさらに昭和の香りが色濃く残っているような気がする。

銀天街というネーミングには、
一つの時代を制覇したプライドが込められている。

ここは、いまだに、昭和であることをやめていないのだ。

素人勝ち抜き歌合戦会場

これはただの店じまいセールではない。
田上家具店は向かい側に仏壇・仏具の店舗を構えている。
街の高齢化で、新しく所帯を持って、家具を揃えるひとより、
仏壇・仏具のニーズの方が、年々増えてきたという、マーケティング戦略なのだ。
家具の売り尽くしをやって、
仏壇・仏具の店舗を拡張するためのセール。

ファッションルーム???

やはり昭和です!

この西田川高校は、井上陽水やIKKOさんの母校。

今村茶舗
明治28年創業、
お茶と、なぜか結納品を扱っている。
中におられるのが3代目店主の今村秀治さん。

お話をうかがった。

大の相撲ファンで、九州場所15日間のおおよそ半分ぐらいは必ず足を運ぶという。

先先代はもともと直方の在で、
放蕩の限りを尽くした後、なぜか悔い改めてこの地にお茶の店を開いたそうで、以来120年。

3代目の秀治さん、大変に面白い方で、

”この街は何故か治安が悪い街と言われてますが、
昔はさておき、今は全くそんなことはない。
むしろこの辺の人たちはみんなお人好しで、いたって気のいい人達ばかりですよ。
ただねえ、僕が小学生の頃だった、忘れもしない、
商店街におったら、前から真っ赤ななハイビスカス柄のアロハシャツを着たひとが歩いてきて、
ずいぶん派手な人やなあと思ってたら、
近づいてみると、花の柄だと思ったのが全部真っ赤な血だったんですよ。
これは本当のはなし”

丁寧に淹れていただいたお茶は、うっとりするような良い香りで、やさしく体に染み込んでいきました。

大正時代、ここには銀行があった。
真ん中のレンガの壁だけが、
何故か当時のまま残されている。

キクスイ醤油「中村商店」

カテゴリ:交流 更新日:2015.11.27

田川市役所の吉永さん、小林さんのお二人に、市内を案内していただいた。
吉永さん行きつけの醤油屋さんに突如アポなしでお邪魔する。

キクスイ醤油の中村商店は大正12年の創業。
ちょうど火入れの最中で、店内には芳ばしい香りが立ち込めていた。

”この匂いで子供の頃は友達にからかわれたもんです”
と語る店主の中村さん。

屋号紋は亀甲の内に菊の文字で、
この菊の漢字を菊花紋に置き換えたものが、
中村家の家紋だとすると、
室町時代の古書「見聞諸家紋」に、
中村河内守の紋として”根本亀甲内桐也、長禄年中取献神璽之時、父弾正依令討死賜菊”とある。

ご先祖は、嘉吉の乱で滅亡した播磨の国赤松氏の家臣として、
赤松氏の再興のため、他の家臣とともに吉野に入って神鏡を奪い返したという史実に即しているらしい。

いずれにせよ、由緒正しい家系が、上品な人となりから伺える。

昔ながらの醤油の味を、その家の歴史の中で守っておられる姿は美しい。

醤油の味は、九州独特の甘みがあり、
やさしい香りでかなり上品。

家紋?

素敵な額が、100周年記念ボトルのラベルはコレ!

写真家という仕事

カテゴリ:仕事 更新日:2015.11.23

写真がはたす役割とは、記録と伝達。
写真家の役割とは、
物事が起きている現場へ赴き、
そこで起きていることを記録して伝達すること。
人々が見たいものを、代わりに見て写真に記録して伝える。
あるいは、誰かが多くの人に見てもらいたいことを、記録して伝える、この繰り返し。
突出した知識や経験、あるいは恵まれた環境から見えてくるものを伝えるのが職業写真家の仕事、
僕は、言葉にならない物事を画像や映像に置き換えて五感に伝える、翻訳家のような仕事として写真を捉えている。
これを意識してやっている人間は写真家の中でもかなりマイノリティーなのかもしれない。
通常写真家は、プロならではの視点や、何か特別なアングルなど、素人とは違った写真を撮ることに勤しむものだが、
僕は、見る人への伝わり方を特に考えて、誤解のないような写真を撮るように心がけて、仕事をしてきたつもり。

今回の田川では、
特にミッションを与えられなかったこともあり、
初めての町をなるべく普通に、
自分の印象を加えずに撮影して歩いた。

田川の町は不思議な町で、
昼間の商店街にほとんど人影が見られない。

これは、僕らの仕事で、まるで撮影の現場で通行人等が写り込まないように交通を誘導したりして、カメラのアングルの中だけに人工的に無人の町を作り出す作業を終えたばかりの現場のようだ。

この、撮影のセットのような町では、
今までカメラに収められることの無かった、
様々なドラマが演じられてきたのかもしれない。

看板だけがかろうじて残った、朽ち果てかけた飲み屋で暮らす老人。
朝起きて、そっと家から出ると、人通りのないアーケードをくだり、駐車場にたむろする野良猫たちに挨拶をして、たった一人の幼なじみの家にお茶を飲みに行く。

そんなストーリーが頭をよぎる。
あとは役者と撮影監督がいれば、美術部も照明部もいらない。
すぐにでも映画が撮れる。

田川とはそんな素敵な町でもある。

田川

カテゴリ:気づき 更新日:2015.11.17

田川は、日本の中の、どこにでもありそうな、
ちょっと田舎の町です。

本当の田舎では無く、町には無数のコンビニがあり、
いたるところに大型のスーパーやショッピングセンターがあり、暮らしに便利。

日本の地方の町はだいたいそんな感じ。

でも、ここは何か特別な町の匂いがします。

ありふれた自然の風景や、
ありふれた街並み、
ありふれているけど何かが違う。

それはもしかしたら、
ここに生まれて暮らした人にしかわからない、
”何か”なのかもしれない。

人は時間とともに、変わって行くけど、
ここの風景はとてもゆっくりで、
いつまでも、同じ。

何年か経って、ここに戻ってきても、
きっと同じ風景が待っている。

ここに生まれた誰もが見て、
そして育ってきた場所が、
ここにある。

岩屋大権現

カテゴリ:その他 更新日:2015.11.04

福智町弁城地区、以前コスモス畑に訪れた牧歌的な風景のなか、山道を果てしなく登って行く。

岩屋高麗窯発祥の地
福智町のホームページより、
”上野焼開窯後から藩主細川氏が肥後に移るまで焼かれた窯。御用品の傾向が強い釜ノ口窯に対し、岩屋高麗窯では民需品が多くみられます。”
それにしても、かなり山深いところ。

さらに延々山道を行くと、車ではここまでという所に、鳥居が。

岩屋大権現。

もお、山深い所なので、
よく言えば森林浴、悪く言えば、なんか怖い。

石段は、山へと続いている。

石橋を渡る。

まず現れるのは岩屋大権現の大杉。

そして目の前に大岩の壁。

その岩肌には、1335年(建武2年)法橋良密によって書き残された梵字曼陀羅が刻まれているという。

物凄く長い時間をかけて、やっと導き出した僕なりの解釈はこれ。

下の方に彫られている曼陀羅、これは判りやすい。

これは胎蔵界対日如来を現わしているそうで、鎌倉期の薬研彫りで、書風、手法とともに、その時代の特徴が表されている、貴重な資料だそうです。

石段の先には

石碑

そしてこんな祠が。

お隣には整備された公園もある。

山の上から見た景色。

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